人は神様にはなれない



 

 僕がまだ中学生の頃、一人の男の子がこの世とお別れになった。年上のお友達と車で外出していた矢先、交通事故で亡くなったそうだ。
 僕はその亡くなった男の子とは一度しか話したことがない。僕と彼には縁がなかったということだ。
 一度話したのも偶然だった。
 そう、たまたま面白い状況があって一緒に居合わせたのだ。挨拶もしたことがなければ、お互い名前も知らない。そんな彼があっけなくこの世から消えてしまった。死ぬことは自分が思っている以上に軽く、突然やってくる。その訃報は学校の全校集会で伝えられたが、僕にとってはどうでもよかった。
 人一人死んだ。ただそれだけのことだった。テレビで人が死ぬぐらいに軽いもので、痛みなど感じるわけもなく、ただ友達と雑談していたことを覚えている。
 当時の僕にとっては「無駄」の一言に尽きる時間であり、単純に部活、もっと自分のためになる時間がほしいと思う時期でさっさと退席したかった。
僕の周りではすすり泣きが響き、より一層に不快感を強めた。
 中学生の夜間の外出は禁止されていたし、それを破った彼がいけないのだ。ルールを破った彼が。
 彼は非行少年だった。茶髪に染め、ガラの悪い連中とよく一緒にいた。
 何で集められなければいけないのだろう?
 彼のお友達だけに伝えればいいじゃないか。
 関係のない僕たちの時間を奪うなと言いたかった。

 泣いている相手に言うのも癪だし、先生達も形式上伝えなければいけない。彼がどんな少年であろうとも。
 渋々、全校集会に参加していたと言っていい。
 彼の死を受け入れられず、泣き崩れる人も多かったのが印象に残っている。クラスメイトの女の子もまた彼の死に心を痛め泣いていた。
 彼女にこう言われた。
「人一人死んだのにどうして泣かないの?」
 自分はこう答えたと思う。
「よく知らない人の為に泣くのは偽善だよ。彼とは面識がほとんどないから」
 その答えを聞いた彼女は信じられないような顔し、また泣き崩れた。多分だけど、知らなくても人が死んだのならば、自然に涙は出るものと言いたかったのでは?と思う。彼の死そのものは自分に何を与えてくれたのか分からないけれど、出来事自体は年を重ねた今でも覚えているよ。
 自分が大学生になったというのに、未だに覚えている。
あの全校集会のことも。亡くなった彼のことも。お葬式に参列した記憶はない。身内でやったのだろう。彼は即死ではなかった。集中治療室に運ばれ、医師たちが懸命に命をつなげようとしていたということも後になってから聞いた。
 彼はどんな痛みを覚えながら死んだのだろうか?
 今の僕にはとてもじゃないが想像できるわけがない。医者は神様ではない。まして神様に一番遠いと思う。神様って根拠のない存在だけど、医者というのは根拠から成り立つ力で人々を救う。
 人は人にすがり、神という曖昧な存在にもすがる。日本人に多いのは神頼みだ。自分はあまり好きではない。
努力でやれるところまで神頼みだからだ。
 何故、曖昧な存在に頼ろうとするのか?
 人とは自分達が思う以上に弱い存在だからか?
 単純に努力することを忘れてしまったのだろうか?
 柄にもなく考えてしまう。多分、一番楽だからだろう。

 あなたの神様はどこにいますか。

 宗教勧誘では固定の神様がいるものだ。自分とは異なる考え方は面白いとは思うが、価値観まで押しつける必要はないだろう。自分の考えは、すがるならば自分だけの神様にすがればいい。人が作り出した神様は今も人を侵食している。人を救うどころか、心を奪う。
 人の価値観は恐ろしい。何故って?
 それは知らず知らずのうちに医者を神様と勘違いしていたりすることだよ。状況に応じて、人は自分の都合よく変われる。そうは思わないか?
 ある意味、彼は幸せだったかもしれない。だって皆に知ってもらえたもの。自分が死んだことを。一度しか話したことがない僕にも覚えられている。羨ましいものだ。
誰かの心に残るような人間になりたいものだ。
自分なりに行き着いたのが人は自分の意志で神様になれず、他人に仕立てられるということだ。
 人として生きるという言葉がある。多分誰もが一度は聞いたことがあるはずだ。具体的にはどういうことを指すのか自分は分からない。例え、痴呆で自分自身のことを理解できないようになって、体が病弱で使いものにならなくても人の器があれば生きていると捉えられる。
 聞いた話によると世界で初めて癌によって亡くなった方は生物学的には生きているらしい。癌細胞として・・・。器の「ある」、「ない」の差だけだろう?
 会話を成立させられないのも一緒。ただそこに体がある。それぐらいの差しかない。それだけでは人として生きるという風には言えない。
 どこからが境目なの?
 どこからが人として生きるということなの?
 一個体の人間と動物は同等の存在と思っている。
 しかし人は簡単に動物を排除する。人は動物を裁くことができるのか?
 答えはノーだ。
 人が動物を裁いては駄目であろう。綺麗ごとにすぎないことは重々承知している。人間は他の動物を裁けるほど立派な生き物ではないと自分はそう思っている。
 結局、様々な要因に左右されながら生きている。どこかに依存しなければ生きられない。
 心も体も。
 人も動物も。
 人が死ぬというのは、やはりあっけないもので、あんなに嫌いだった人もいなくなれば自然に涙が出るものだ。少なくとも自分の場合はそうであった。
 自分が大学生になってからすぐ祖母が死んだ。持病に加え痴呆が進み、人として生きているのかそうではないのか。その判断すらできなくなった祖母。
 自分はここにいるよと叫んでいるように夜間徘徊をしたり、奇声を上げたりもしていたがそれももう聞くことはない。
 祖母が死んだ直後は違和感があって落ち着かなかった。祖母の世話をする必要もなくなったというのもあるが何か心が寂しかった。人の人生も骨と同じくらい脆く思えた。骨壺に入れるとき自分もあんな風に拾われると思うと複雑な気持ちで一杯だ。
 一通りの物事を終えた時は皆疲れていた。死んだあとも色々面倒があるというのが一番の感想だった。時間が経つとそういう感情も薄れてくる。その時の普通が定着するのだろう。それまで当然だったことがなくなって意識を外に向けられるようになり自分は変われるような気がしていた。
 でも結局のところ何も変わっていない。変わることができなかった。それがたまらなく嫌で自分自身も嫌いになりそうだった。
 時折思うことがある。人として生きるというのはどういうことなのか?
 人としての心を持ちながら生きることか。単純に人としての器があれば生きるという風になるのか?
 祖母は最後まで人として生きていたのか。分からない自分が情けない。自分にとって抱える物がむしろ増えてしまったかもしれないと思っている。祖母は自分そのものだからだ。自分の嫌な部分を見ているようで辛かった。姿、形は違っても鏡を覗きこむと自分がいるという経験は奇妙で、生涯二度とないと思う。
 祖母は自身の誕生日にこの世から去った。正直に言うと介護が大変だったからある意味ホッとしたのも事実。年は若かったけど外見は見事に老けて、年には似つかわしくもなく腰が曲がり、滑舌の悪さが目立った。自分もそういう風になるのかなと。普通に生きたら間違いなく、同じ末路を辿るだろうと思ってしまう。
 だから自分は祖母が死んだ年齢より若く死にたいと思っている。こういう考えを持つ人は大抵長生きするのが定石だろうと苦笑してしまう。
 祖母は縁側の隣で生涯を終えた。滑稽なものだね。生きるということに縁がなかったのだろうと思ってしまったからだ。縁の側といっても「生きる」ではなく「死ぬ」方に近かったのならば納得だね。死んでからもこんな風に思われる人はどうなのだろうね。

 忘れられるよりは幸せ・・・?

 人は多分、量より質の事柄で長生きしても大して何もしなかったら意味がないのだ。人の人生は儚い。それだけは誰であっても変わらないのだと教えてくれる出来事だった。
 それから自分は普通に身を委ねながら生活を送ってきた。死んだ事実は変わらないのに世界は廻り続ける。
人一人の命というのは特に影響のある事柄ではない。
 そう告げているようにも思う。人は他の動物の命を左右するような権限もなければ人そのもので一杯一杯なのだと感じる。
 仮に目の前の人が死ぬことが分かっていて見過ごしても罪にはならない。人の個性を極端化したもので少し先の未来が見える人がいるとする。例えば小さな子どもが車にひかれて死ぬということを認知できているとして、死ぬことを回避させてしまったらそれは神様と同じことだ。
 それでも人を助けるか?
 自分はどうなのだろう?
 多分その者を助けて自分の命が消えているだろう。何故なら人が死ぬ事象は変わらないからだ。誰かが死ぬことに変わりはあるまいと考える。
 彼や祖母は皆に何を残してくれたのだろうか?
 自分が死ぬその瞬間まで分からなかったら自分は不幸な人のように思う。彼も祖母も最後は何を見て息を引き取ったのか。たまにそう思ってしまうことがある。
 彼の最後の意識はどこにあったのか?
 祖母は天井を見ながら何を思っていたのだろう?
 それを分かりたいというのは実は駄目なことではないかと思うのだ。自分も必ず体験することになるのだから。彼も祖母も幸せな人生を送っていたと思うのならば尚更ではないか。そういうことまで知りたいというのは欲が深いと考えてしまう。欲が深いというのは人間の本質。そういうのを切り離さなければ人間から先にはなれないだろうし、仕立てられても自分からなれないということを象徴しているようにも思う。

 人は神様にならなくていい。人は神様に頼らなくても生きられる。神様にならなくても十分満たされるような人生を送れるはず。




トップページに戻る

書棚に戻る

掲示板へ行く

inserted by FC2 system