―4―
1日目。
きっと、何か用事が出来たのだろうと思った。
2日目。
風邪でもひいたのではないかと心配になった。
3日目。
もうここに来ることはないのかと、心がざわついた。
がさり、と葉が音を立てる。枝に飛び移った男は、村の方へと視線を投じた。森の出口のすぐ近くに位置する木の上で、男はしずの姿を探す。
ふと、男の視界に人の行列が入った。皆黒い服を着ていて、中央に白い箱が担がれている。その箱の正体を、男は知っていた。
あぁ、人間が死んだのか。
男は無表情でそう考えながら、何とはなしに参列者の会話を耳に入れる。
―まだ、小さいのに……
―なんでも、3日前に階段から落ちてそのまま……
―可哀想にねぇ、しずちゃん
男は、耳を疑った。
今、何と言った。あの棺は、誰の物だ。
くらり、と視界が回った気がして、男は枝を掴む手に力を込める。
息が、上手く出来ない。
突然来なくなった子ども。あの子は最後何と言っていた?
『あやにぃ、またあしたー!』
また、明日と。明日も会おうと約束の言葉を残していった。
それでも来なかった子ども。
あぁ、そうか、と男は手のひらで顔の片面を覆った。彼女は来なかったのではない、来ることができなかったのだ。
その命の炎が、消えてしまったから。
男はその場をすばやく離れると、木々を渡り一本の木に背をつけた。そのままずるずると地面に座り込む。
そこは男としずが、初めて出会った場所だった。
「……なんでや」
男の呟きが風に紛れる。
次に会う時は名前を呼ぼうと思っていた。そして、自分の本当の名前を教えようと。
妖者である自分に笑いかけ、礼を言った子ども。
あのような笑顔も、あのような言葉も、初めて向けられたものだった。
その笑顔が嬉しくて、その言葉が嬉しくて、いつの間にか隣にいることが当たり前と感じるようになった。いつの間にか、隣にいたいと思うようになった。
それが叶わない願いであることを、知っていたはずなのに。
「……せやから、人間は嫌いなんや……」
男が、絞り出すような声で言った。
人間の身は弱く、脆い。その儚い命は、妖の自分と比べるとあまりにも短すぎる。
男がぼそりと零した言葉が、赤く染まる空に吸い込まれた。
こんな感情は、知らない。
頬を流れるものの名も、視界が滲むその訳も。
あぁ、あの子どもが傍にいたら、わかったのだろうか。
この想いの名前が、なんというものなのか。
「なぁ、……しず」
今はもういない子どもに向って、初めてその名を口にする。
ぱた、と乾いた枯葉の上に雫が落ちた。
「……俺の名前は、妖やない。……『鴉黒(えこく)』いうんや……」
紅の空が、しずの唄を思い起こさせる。優しくて、温かくて、そして何処か切ない唄を。
―ゆーやけこやけで日がくれてーやーまのお寺のかねがなるー、おーててつないで、みな帰ろーからすと一緒に帰りましょー
しずの声が、聞こえた気がした。彼女は一番しか知らなかったから、その続きを歌うことはなかった。いつか、これも教えてやろうと思っていたのに。
男はすぅ、と小さく息を吸うと微かな声で唄を紡いだ。
「子どもが帰った後からは、丸い大きなお月さま……小鳥が夢を見る頃は、空にはきらきら金の星……」
痛む心と消えない寂しさを抱えて、今日は少し早く眠ろう。
そうしたら、夢で逢えるかもしれない。もう一度並んで、笑い合って。
その時にはきっと言おう。君の名前も、自分の名前も、そして夕焼けの唄のその続きも。
もう一度君に逢えたなら、今度は俺から言おう。
ありがとう、その一言を。
出逢ってくれて、ありがとうと。
・・・おしまい