童話クエスト

〜シンデレラの章〜

−1話−

黒蒼昴



「うわぁ、遅刻だよぅ!」
 学校の校舎から伸びる、砂に埋もれてやや消えかかったレンガの道。その道を急ぎ足で部室棟に向かって走りながら桧山遼子はそう叫んだ。
 肩まで伸びた髪をせわしく上下させながら、遼子は左腕につけたかわいらしいデザインの腕時計をちらりと見た。先っぽに小さな猫の顔を模した時計の針が、部室での集合時間を二十分も過ぎていることを冷酷に示している。
「うぅ、時間よ戻れ〜………」
 祈ってみたところで時間がそう簡単に戻るわけもなく、遼子はハァ、とため息をつく。
 この学校の部室棟は、遼子たち生徒が普段授業を受けている本校舎からはかなり離れたところ、この学校の敷地の端の方に建っている。
 元はこの学校の本校舎だったのだが、生徒の増加によって学校の敷地が拡張。それと同時に大きな新校舎も建てられたために、敷地の端に取り残される形となったそれまでの校舎は使われなくなり、現在はこの学校の生徒たちの部室棟として再利用されている。
 部室棟に着いた遼子は、走ったせいで若干上がった息を整えながら部室棟の玄関のそばにある階段を上がる。
 二階の廊下を歩くとすぐのところに『文学部』と丸っこい字が書かれた紙が貼られたドアがある。遼子はドアを開けながら口を開く。
「みんな、遅れてごめん――ってあれ、どうしたの舞ちゃん?」
 遅れたことを謝りながら部室に入ると、森宮舞が部室の中央に置かれた長机に伏せ、低いうめき声をあげていた。
「ううぅ……遼子ぉ〜、私もう駄目かもぉ」
 遼子に気づいた舞は、体をがばっと起こすと涙目で遼子に助けを求めてきた。
「え、ええ? どうしたの、舞ちゃん。……問題集?」
 机の上の開いた問題集とそれと苦闘した痕跡がにじみ出しているノートを見つけ、遼子はつぶやいた。
「――単なる森宮の自業自得だ。常日頃からちゃんと授業の復習をしておかないからこうして困ることになる」
 机を挟んで舞の向かい側の椅子に座っていた高月耀が、舞に向かって説教じみた口調で言う。
「自業自得って……?」
 遼子は舞の隣の椅子に座ると、耀に尋ねる。
「その質問には僕が代わりに答えてあげよう」
 それまで舞の背後で、舞が困っている様子をおもしろげに眺めていた関谷京介が耀の代わりに口を開いて言った。
「舞くんがどこから聞いてきたのかは分からないけど、どうやら近いうちにあの織部先生が抜き打ちテストをやるらしいんだ。しかも成績が悪い生徒は後日織部先生の特別補修もあるらしい」
「えっ、織部先生の抜き打ちテストっ? しかも特別補修………うわぁ」
 京介の言葉を聞き、遼子の顔が思わずこわばる。
 織部先生とはこの学校の名物女教師である。
 とても美しく慈愛に満ちた天使のような容姿なのだが、それはあくまで外見だけ。中身はまるで悪魔のようなサディスティックな性格で、噂では彼女の前ではどんな暴れん坊な不良でも借りてきた猫のようなおとなしさだとか。とにかく生徒達から恐れられている。
「で、普段勉強というものとは全く縁が無い舞君は今必死で悪あがきをしているというわけさ」
「……京介ぇ、ずいぶん言いたい放題言ってくれるじゃないの。歯を食いしばる用意はもうできた?」
 遼子から体を離した舞は、手の関節をポキポキと鳴らしながら京介の方にゆっくりと向き直る。
「――森宮。お前こそさっき俺が出した問題はもう全部できたのか?」
 それまで黙って遼子たちのやり取りを眺めていた耀が、問題集を指し示すように指でトントンと叩きながら舞に言った。
 舞は「うぅっ」とうめき声を上げ、気まずそうな表情で耀から目をそらす。
 耀はそれを見てハァ、と小さなため息をついた。
「基礎の簡単な問題ばかりなんだが……」
「はっはっは。耀君、運動大好き系の娘は頭があまり良くないというのが相場なんだよ。だがそれがさらなる萌え要素となり、ごぶぉっ!」
 そこで京介の言葉は瞬速で放たれた舞の拳によって物理的に遮られた。
「あぁ〜、もうっ! やめた、やめたぁ。そもそも抜き打ちテストっていうのも、もしかしたらあるかもっていう噂だけなんだし。テストなんてないわよ、たぶん」
 舞はそう投げやりな態度で言うと、机の上の問題集を雑に閉じ、椅子の背もたれに大きくもたれた。
 遼子は舞の開き直った様子に苦笑いしながら、申し訳なさそうに言った。
「ごめん舞ちゃん、抜き打ちテストは近いうちに絶対あると思うよ」
「うぇっ?」
 遼子の思いもよらない言葉に舞は思わず姿勢を崩し、椅子から転げ落ちそうになった。
「どうしてそう思うんだ、桧山?」
 耀が若干興味深そうな目を遼子に向ける。
「うん、今日ここに来る途中でね、織部先生に呼び止められたの。それで、授業の参考にしたいからっていろいろ質問されたんだけど、その質問がなんだかおかしくて……」
「おかしいって?」
 舞が若干不安そうな表情を浮かべながら、遼子にその先を促す。
「質問のひとつひとつは別におかしいものじゃなくて、普通の質問だったんだけど、でもおかしいの。だって織部先生のした質問って全部『苦手な分野とか問題は何か』だけだったんだもん。あれは絶対授業のじゃなくて、抜き打ちテストの問題を作るためのものだよっ!」
『うわぁ、いやだぁ〜っ!』
 舞と、なぜか話をした遼子も全く同じ悲鳴を上げて二人とも机に突っ伏す。
「――しかし良かったね、舞君」
 舞の激しい突っ込みで先ほどまで床に倒れていた京介が、起き上がって舞に話しかける。
「うぅ……なにがよ」
 笑顔で話しかけてきた京介に、舞はふてくされた態度で返事をする。
「遼子君は苦手な分野や問題がどこか聞かれたんだろう? つまりそれは今回のテストは皆が苦手な分野の問題ばかりが出るということ。これはテストの問題用紙を手に入れたようなものさ」
 京介の言葉に二人が「おぉ〜っ」と歓声を上げる中、耀が軽く鼻で笑って言う。
「まあ、性格の悪いアレのことだ。わざと生徒達に苦手な分野を聞いてまわっておいて、裏をかいて全く別の分野の問題を出しそうな気もするが。……さてと、全員そろったことだし。森宮、勉強はもうそのくらいにしておけ」
 耀は舞に向かってそう言うと椅子から立ち上がる。そして八割ほどを童話の本が占める部室の本棚から適当に一冊本を抜き取ると、またもとの椅子に座った。
「ねえ、耀君。《歪み》を探すのは明日にして、今日は皆で楽しく勉強会っていうのは、どうかな………?」
 舞の様子を見て自分も抜き打ちテストに対してだんだん不安になり、遼子が耀におずおずと提案する。
 それに対して舞が「さんせ〜い」と手をあげて支持した。お互いに顔を見合わせて頷きあう二人に、耀は深いため息をつきながら呆れるような口調で言った。
「お前らな……分かった。終わったら思う存分勉強を見てやるから。それでいいだろう?」
 耀の妥協に二人が「やったーっ!」と手を合わせて喜び、それに続いて京介も二人に調子を合わせて「やったー」と笑顔で言う。
 それに対して耀が不思議そうな顔をし、京介に言う。
「……なぜ関谷も喜ぶ? お前は別に勉強をする必要はないだろ」
「そうよそうよ。京介ってすごく成績いいじゃないの。……なぜか女の先生の授業限定で、だけど」
 舞が耀に追従してそう言い、言葉の最後で京介をじろりと睨んだ。
 京介はなぜか照れたような顔をしながら、笑って答える。
「はっはっは、別に対して勉強しているわけじゃないんだけどね。ただ、彼女達の発する言葉を一つも聞き逃さずに聞いていたら、いつの間にか成績が良くなっていたんだよ」
「……まさに才能の無駄使いだな。少しはその集中力を男性教師の授業にも使ったらどうだ?」
 耀が呆れながらそう言うと、目線を手元の本に移し、読むというよりも見る感じでパラパラと本のページをめくり始めた。
「――じゃあ、京介くんも一緒に勉強会しようよ。分からないところとかいろいろ教えて欲しいし」
 遼子が京介を誘うと、舞が露骨に嫌そうな顔をして「ちょっと、遼子」と文句を言う。
「だってこのままだと京介くんだけ仲間はずれだもん。それに、みんなで勉強した方がきっと楽しいよ」
 京介がうれしそうな笑顔を浮かべて、遼子に言う。
「おお、遼子君、君はどこかの乱暴者と違って優しいね。僕の君への好感度が十ポイント上がったよ」
「あはは……素直に喜んでいいのかな、それ」
 さらっと笑顔で変なことを言う京介に、遼子は苦笑いを浮かべる。
「……話は決まったようだな」
 耀はページをめくっていた本を閉じると、遼子に尋ねる。
「うん。じゃ、今から探すね」
「ああ、その必要はないぞ、桧山」
 立ち上がりかけた遼子を制止するように、耀は手に持っていた本を遼子に向かって突き出した。
「シンデレラ?」
 差し出された本を受け取り、遼子は本の題名を見てつぶやいた。
「ほう、一冊目即行でビンゴかい?」
 京介が耀に尋ねると耀はああ、と軽くうなずく。
 遼子はその本の内容が他の皆に見えやすいように机の上に広げ、その本を読み始めた。


『むかし、あるところにシンデレラという少女がいました。
 彼女は小いころに母親をなくし、そのあと家にやって来たまま母とその連れ子たちと共にくらしていました。
 まま母とその娘たちはとてもいじわるな性格ではなく、シンデレラは毎日彼女たちにいじめられることもなく、とても幸せな日々をすごしていました。
 ある日、王子様のお妃えらびのために、お城のぶとう会が開かれることになりました。
 やさしいシンデレラはまだ結婚していなかった姉たちを気づかい、お城のぶとう会には参加しませんでした。
 そのあとも、シンデレラはやさしい家族と共にいつまでも仲良く幸せにくらしました。  〜おわり〜  』


 ――数年前からそれは始まった。
 いくつもの童話の物語が、その物語の設定が、その物語に出てくる人物がおかしく歪み始めた。
 誰も幸せにならないハッピーエンドの物語、魔法使いの話なのに魔法がない物語、主人公がいない物語……。本来のものからは歪んでしまった童話の世界。
 故にこの現象を遼子たちは《歪み》と呼んでいる。

 

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