見えない宇宙人

−14話−

黒蒼昴



「――智姉、半年前にこの辺りで起きた事件のこと覚えてる?」
 智姉は俺の言葉にしばし目を瞬かせた後、う〜んと首を傾げて答える。
「ん〜、事件? ………ああ、アレね。で、それがどうかしたの?」
「例の小説の参考になればと思って今調べてるんだ。ひょっとしたら智姉ならそのときの記事のスクラップとか持ってるんじゃないかと思ってさ」
 野次馬上等の智姉ならこの近くで起きた事件を絶対見逃すわけは無い。智姉のところならそこらの図書館よりもより詳しいことを知ることができるんじゃないか、そう俺は考えた。
 智姉は俺の言葉に「ああ、なるほどね」と納得したように頷いて言った。
「そういえば、あの事件の犯人も動機は幻覚の症状だったわ。……でもよくそんなこと知ってたわね。確かニュースでは結構ぼかしてた気がするけど」
「え――あ、ああ、ネットで調べたら偶々出てきたんだよ。それで小説の参考になるんじゃないかなぁ、なんて思ってさ」
 情報源が高村だとは言えず、俺は咄嗟に誤魔化す。智姉は「ふ〜ん?」と少し眉を寄せて怪訝そうな顔をするが特に追求しては来なかった。
「じゃあちょっと取ってくるわね」
 智姉はそう言って立ち上がると、部屋の奥のドアに向かって歩き――突然俺の横で立ち止まって、肩にがっしりと手をかけて俺の目を覗き込みながら言う。
「――ねえ、その小説っておもしろい?」
「っあ、ああ! も、もちろん……」
 内心ばれたのかと思いながら必死でそう返事をすると、智姉はそう、とあっさりした返事で俺から離れて奥の部屋へと入っていった。
(ふぅ〜、びびったぁっ……!)
 俺は激しく鼓動する胸を押さえながら、はぁ〜と盛大に息を吐く。
 もしかして小説だという嘘、ばれているのかな。しかし、もしそうなら智姉はとっくにそれを俺に突きつけて嬉々として介入しているはずだ。
「う〜ん………」
 腕を組んで考え込んでいると、意外と早く智姉が一冊の薄いファイルを手に持って戻ってきた――かと思うとまた近づいてきて目をのぞきながら言う。
「完成したら私に読ませてね」
「も、もちろん……!」
 俺の答えを聞き、にやっと智姉は楽しげな笑みを浮かべると、俺にファイルを差し出した。
「あの事件に関する記事はあらかたそこに入ってるわ」
「ありがとう、智姉」
 ファイルを受け取ると、俺はそれをひざの上に広げてページをパラパラとめくる。
「………あれ?」
 よく見るとほとんどの記事は雑誌などの小さな切抜きで、事件を詳しく解説しているようなものはほんの数枚程度しか無かった。
 このことについて訊ねると、智姉は少し弱ったような表情をして言った。
「ん〜、犯人が未成年ってこともあるし、被害者もみんな軽症程度だからあんまり珍しくなくないみたいで。全然大した記事が無かったのよ」
「ふ〜ん……これは?」
 俺は記事の中に一枚写真が混ざっているのを見つけ、ファイルから抜き出す。
 それはたくさんの野次馬に囲まれながら犯人らしき少年が護送車に乗せられて、移送される直前を撮った写真だった。
 俺が智姉に写真を見せると、彼女は「ああこれね」と思い出すように答える。
「確か警察署から病院に護送されるって聞いて慌てて撮りにいったんだわ。そういえばこの事件って不審な点が多かったわね」
「不審な点って?」
 俺が訊ねると、智姉は写真に写っている一人の女子中学生を指で指し示した。
「……ん? この娘がどうかしたのか?」
 俺は何か不審な点でもあるのかとその子を凝視しながら智姉に訊ねる。
「その娘、被害者の一人よ」
 智姉が短く説明し、俺はふぅんとさして気に留めず流しかけてふと気がつく。
「あれ? 事件が起きたのって確か正午ぐらいじゃなかったっけ?」
 確か事件が起きたのは、正午の時間帯で場所は住宅街の路地。そのため被害者のほとんどはその辺りに住む主婦や老人だったはずだ。
「ええ、そうよ。その娘はその日学校を無断欠席してそのとき現場にいた。ついでに言うなら、その娘は加害者とは親しい間柄だったそうよ」
「…………」
 智姉のやや淡々とした説明を聞いて、俺は黙ってその写真を見つめ直す。
 もしかしたらこの娘は、今の俺と同じ境遇だったのかもしれない。少年の異常に気づいて、何とかしようとして――でも間に合わなかった。
 智姉は黙りこくる俺の様子をしばしの間眺め、口を開いた。
「で、まあ一番気になるのが少年の護送された先よ」
「護送先?」と聞き返す俺にそうよ、と智姉はやや興奮したような口調で続ける。
「この辺りで起きた事件だから私のコネがある地元の病院に送られるのかと思いきや、全く知らない無名の病院。横から私の獲物を掻っ攫っていくなんて全くいい度胸してるわ」
 俺は苦笑いしながら心の中で反論する。
(いや、どっちにしろ智姉のじゃないし。……ん? ちょっと待てよ、病院?)
「智姉、その病院の名前って分かる?」
「え? 分かるけど……病院って基本患者のことについては教えてくれないわよ?」
 怪訝な顔をする智姉に俺はそれでもいいからと頼み込み、何とかその病院を教えてもらうことができた。
 少年の治療をしていたと高村は言っていた。もしかしたら事件後も高村が少年に接触し続けていた可能性がある。だとすると、少年の搬送された病院に行けば高村の情報が何か掴めるかもしれない。俺はそう思った。
 智姉は「やれやれ」とため息をつくと、立ち上がって言った。
「確か私の名刺コレクションの中にその病院の医者のがあったはずだから貸してあげるわ。結構気さくな人だったからもしかしたら何か教えてくれるかもね」
 智姉は本棚からファイルを取り出してパラパラとめくり始める。そしてすぐに目当てのものを見つけるとそれを取り出して、俺に差し出した。
「絶対折り曲げたり汚したりはしないでよ」
「分かってるよ。ありがとっ――?」
 そうお礼を言いかけて固まる俺に智姉は怪訝な顔をして「どうしたの?」と訊ねる。
「あ――いや、何でもないよ。ありがとう智姉」
「どういたしまして。今日はもう遅いから明日行きなさいよ」
 そうするよと俺は智姉に返事をし、名刺を大事にポケットにしまいこんだ。
「今日の用事はこれで終わり? そろそろ夕食の準備したいんだけど」
 智姉に言われて俺はああ、と返事をしかけて思い出した。
「――あ、そうだ。智姉、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「……いいけど、手短にね」
 智姉は別段嫌そうな顔をするでもなく椅子に座り込んでそう言った。
「あのさ、ヒロインの病気の治療なんだけど――」
 そう前置きして、俺はこの前みやっち達を尾行したときに見た、高村がみやっちに行っている治療方法を智姉に話す。
「――っていう風に書こうと思うんだけど、これって治療法として合ってるかな?」
 説明し終えた俺は智姉に真剣な表情をして訊ねる。
 高村は、純粋にみやっちが心配で治療をしているとは思えない。あのときの彼の話しぶりから判断するに病気の治療実験という感じだったが、果たしてそう素直に決め付けていいのだろうか……。
 神妙な表情を浮かべ、黙って俺の説明を聞いていた智姉は考えるように少し間を置いてから答える。
「……まあ、間違ってはいないかな。でも治療としては欠陥品に近いわね」
「欠陥品?」
「ええ。そんなやり方じゃ治療としては中途半端よ」
 智姉はやれやれと言わんばかりに首をすくめて説明する。
「まず、患者に幻覚を触らせるってとこだけど、まあ発想としてはおもしろいわね。それで患者もそれが実体のないものとして実感するでしょうよ。でも治療としては、そこで終わらせちゃ駄目。患者に確認させた後は、自分もしくは他の健常な第三者にそれが現実には存在していないことを患者に分かるように目の前で実証してあげないと」
 智姉はふぅ、とため息のように息を吐いて言う。
「ただ単に目の前の幻覚の存在を確認するだけじゃ、逆に幻覚に確かな実態を与えることになって余計に症状を悪化させる可能性があるわ」
「…………」
 俺は黙って智姉の説明を聞き、頭の中で考える。
 高村がそういうミスを侵すとも思えない。ということは意図的にやっているということだ。でも何のために?
(……治療の実験をしているわけじゃないのか?)
 俺が考え込むのをよそに、智姉は「あ、そうそう」と付け足すように言った。
「後、これはどの分野にも言えることだけど、心の病気の治療において何よりも大事なのが医者と患者、お互いの信頼関係。もし、これが何かのきっかけで崩れようものなら、それはもう最悪ね。……さ、そろそろ帰りなさい。中学生があまり遅い時間帯にぶらぶら外を出歩くのはよくないわよ」
 そう言われて診療所から追い出された俺は、診療所の外でポケットから名刺を取り出し、もう一度確認するようにそれを見つめた。
 『国立津田精神医療センター 研究部長 高村』と書かれたその名刺を……。

 

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