見えない宇宙人
−16話−
黒蒼昴
建物の中は病院というより、むしろ研究施設に近い雰囲気の建物だった。 一階部分は事務室や研究室、職員専用の部屋なんかが占めている。俺はてっきり研究室なんかは見せてはくれないと思っていたのだが、意外なことにあっさりと入れてくれた。 「別に見られてやましいものがあるわけではないですからね」 村井さんにそう言われて部屋に通された俺は、何か怪しいものやみやっちの病気に関わるものはないかと、見回すが特にそういう類のものを発見することは出来なかった。 建物の階段は職員専用で鍵がかかっているため移動はエレベーターで、次の二階部分は食堂や、患者のための浴場や運動施設などがあるだけだった。特に気になるようなものもなく、次は三階だと思っていると、村井さんは謝るように俺に言った。 「三階は患者さんの入院スペースですから、部外者以外は立ち入り禁止なんですよ。ということで今日の見学ツアーはここまで。何か質問とかはありますか?」 何でも来いと言わんばかりに胸を張る村井さんに俺は一つだけ聞いた。 「……トイレってどこですか?」 「………トイレはそこね」 肩透かしを喰らったような顔をする村井さんにトイレに案内された俺は入るなり、腕を組んで考え込む。 一階と二階は別に怪しい所は何も無かった。とすると残るは三階。しかも村井さんは患者の入院スペースであると言っていた。 ここが高村の拠点だとすると、今まで高村の治療を受けた患者や、みやっちと似たような症状の患者が入院している可能性が十分に考えられた。問題はどうやって三階に行くか。 「――よし、それでいくか」 少々無茶なやり方だがこれしかないと考え、俺は意を決する。 「あ、遅かったですね――ってえっ? ち、ちょっと!」 トイレから出ると共に俺は全力で廊下を走りだした。驚いてしばし立ちすくんでいた村井さんは、思い出したかのように慌てて俺を追いかけ始める。 だがそのときにはすでに俺との距離が開いており、加えて小回りが利く中学生で隠れる場所や死角がたくさんあるこの建物なら、彼女を撒くのに大して苦労しなかった。 「………よし、撒けたか」 周囲に誰の気配も無いのを確認し、隠れていたテーブルの下から這い出る。自分でもかなり乱暴な策だと思うが、こうでもしないかぎり村井さんの監視を抜けることも三階に行くことも出来ない。 誰にも鉢合わせしないことを祈り、慎重に物陰に隠れながら俺は三階へと向かう。幸い途中で見つかることもなく、俺は無事三階までたどり着くことが出来た。 三階の廊下は不審なことに職員はおろか患者の姿さえもなく、まるで人の気配が感じられなかった。それでも俺はその時点ではさして疑問を感じず、手前の部屋から順に扉をノックして入っていくことにした。 一つ目の扉をノックする。 「………?」 返事が無いので扉を開けると、部屋の中には誰もおらずまた最近使われたような形跡も感じられなかった。 俺は一つ目の部屋から出ると、続いて二つ目の部屋の扉もノックする――が、この部屋も返事が無い。入るとやはり誰もおらず、使われた形跡も無かった。 「どういうことだ?」 俺は疑問に思いながら順に片っ端から部屋を空けていくが、どの部屋も前の部屋と同じだった。 そしてとうとう最後の部屋の前。 (もし、この部屋にも誰もいなかったら――) 誰も入院していない病院など有り得るのだろうか? 俺は一呼吸置き、意を決して最後の扉を開けた。 結論から言うと、最後の部屋に人はいた。 その人はまるで俺が来るのを予想してたかのように、扉の前で立ち尽くす俺に声をかけた。 「どうしました? 鳩がバズーカ砲を喰らったような顔をしていますよ?」 部屋の中で待ち伏せていた村井さんは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべると、俺の近くまで歩み寄りながら言う。 「やれやれ、君のその満ち溢れた行動力は認めますけど、もう少し考えた方がいいですよ。君が逃走した後三階に行くのは誰でも予想しますよ?」 村井さんは俺の前に立つと、ぽんと優しく肩を叩いた。 「あの、これは――」 どういうことですかと訊ねる俺に、村井さんは気恥ずかしそうに頭をかきながらその疑問に答える。 「それが、うちは国立のくせにあまり人気が無いらしくて、いつもこうして閑古鳥が鳴いているんですよね。こうして患者がいないなんていうのもざらなんですよ。だから三階には行かせたくなかったんですけどねぇ」 苦笑いを浮かべる村井さんの言葉に俺は何も言うことも出来ず、こうして病院見学ツアーは終了となった。 「もうすっかり暗いですけど、家まで送らないで大丈夫ですか?」 日も落ちて暗くなっていたため、門のところで村井さんに訊かれる。 「大丈夫です。今日は見学させてもらえてありがとうございました」 正直、手がかりは何一つ掴むことが出来なくて心の中は落ち込んでいたが、俺はそれを悟られないようわざと明るい口調で村井さんにお礼を言う。 村井さんはどういたしまして、と微笑んで答える。 門扉が開き俺が出ようとすると、村井さんは俺を呼び止めて明るく笑顔で言った。 「そうそう、君に一つアドバイス。探し物は夜の公園に。彼女は大切にしてあげてね」 「――え?」 何のことかと問い返す間も無く門扉は重い音をたてて閉じた。 「あら、お帰り。どう? 何か収穫はあった?」 帰り際に智姉の診療所に寄ると、智姉は俺に訊ねてきた。 「特に収穫は無かったけど――って、それよりもどうしたんだよ智姉、その怪我! なんか部屋も散らかってるし」 智姉の腕には包帯が巻かれており、顔にも殴られたような痣がある。部屋も片付いてはいるもののいくつか物が壊れたりしていた。 「ああ、なんでもないのよ。夕方に少々厄介な患者を診たら暴れられちゃってね」 大したことではないような口調でそう言いながら、智姉は何でもないように手を振り、痛さでわずかに顔をしかめた。 「ところで貸した名刺は?」 「ああ、それなんだけどさ……」 名刺を取り上げられたことを脅えながら話すと、意外にも智姉は「あら、そうなの」とあまり気にしてはいない口調で答えた。 「で、その病院はどういう感じだったの?」 智姉にせがまれて俺はあらかた病院で見た内容を彼女に話す。 何故か智姉は病院のことよりも、村井さんのことを話しているときの方が興味深げな表情をしていた。 「なるほどね、じゃあ結局のとこ無駄骨ってわけか」 彼女は慰めるような口調でそう言うと、「遅いから送ってくわ」と俺を家まで車で送ってくれた。 (手がかりは何も無し、か) 俺は車の中でそう深くため息をついた。 「やれやれ若いっていいですねぇ。まぁ、私も若いんですけどね」 彼を門で見送った私はにんまりと微笑んでそう小さくつぶやくと、踵を返して再び建物の中に入る。 私はまっすぐエレベーターに乗り込むと、階の表示がされたボタンをいくつかリズムよく押す。するとエレベーターは動き出し、階層表示の無い下の階へと降り始める。 地下一階に降りた私は蛍光灯の白い光一色の廊下を少し歩いて立ち止まると、横の部屋の戸をノックした。 「入ってるよ」 トイレ待ちの相手に言うような返事が返ってきて私は思わず苦笑しながら、部屋に入る。 「やれやれ、まさかいっしー君がここまで乗りこんでくるとはね。君にメールをもらったときはさすがに驚いたよ」 部屋の奥のデスクで作業をしていた高村さんは、愉快そうな表情をして言う。 「しかし、どうせなら僕が出迎えたかったのになぁ。どうして駄目だったんだい?」 「そうしたら、いっしー君にぼこぼこに殴られてはい終了という落ちが見え見えですよ」 私が笑いながらそう冗談を言うと、「やっぱり?」と彼も笑う。 「それにしても、ずいぶんとすごいですね、それ」 机の上にある彼の作業途中のそれを見て感心したように私は言う。 「そうかい? 確かによくそう言われるけど、こんなの大して使い道が無いんだけどね」 高村さんは苦笑いして作業途中のそれを見た。 「まさに才能の無駄遣いというやつですか。……それを見せて、千夏ちゃんの心が壊れるようなことがなければいいのですけど」 心配そうな口調で私がそう言うと、彼はそれだけは勘弁願いたいねと真剣な面持ちで答える。 「万が一そうなるようなことがあれば、せっかくの実験が台無しになっちゃうからね。その点は十分細心の注意を払いながらやっているさ」 「だといいのですけど。……そういえば高村さん、ここ最近誰かに名刺を渡しましたか?」 私が訊ねると、高村さんは怪訝な表情を浮かべて私を見る。 「いいや? 最近どころか僕は名刺なんて持ってないよ。それがどうかしたのかい?」 「いえ、ふと気になっただけです。では作業の方頑張ってくださいね」 そう微笑んで高村さんの部屋を出た後、私は自分の部屋に行き、鍵をかける。そしてポケットからいっしー君から取り上げた名刺を取り出した。 それをしばし眺めた私は、名刺を破ろうとして――手をとめた。 「…………」 よく見ると紙は二枚重ねになっていて、私は慎重にそれをはがす。すると、二枚の紙の間には短い針が挟まっていた。 「……なるほど、丸めたり下手に破くと針が手にささる仕掛けですか」 針を取り出すと、私はそれを天井の蛍光灯にかざしながらしばらくの間それを観察するように眺める。 「……ふふっ、おもしろい。どこの誰でしょうね、こんなことをするのは」 私は子供の幼稚な悪戯を見つけた親のような笑みを浮かべてそうつぶやいた。
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