見えない宇宙人

−17話−

黒蒼昴



 せっかくの気持ちいい睡眠をけたたましいアラーム音に起こされ、わたしは目覚まし時計を半ば八つ当たりするように乱暴に叩いて音をとめた。
「あれ………?」
 ベッドから起き上がろうとして、わたしは両腕に筋肉痛のような鈍い痛みを感じた。
「……筋肉痛になるようなことって昨日したっけ?」
 だるさを感じる腕をかばいつつ学校に行く準備をしながら、わたしは昨日の行動を思い返す。
 体育の授業でテニスはしたけどそんなの毎週のことだし、ただの遊び程度のレベル……。学校から帰るときにいっしーと追いかけっこはしたけど、それなら腕じゃなく足にくるはず……。でその後は――。
「えっと、その後は………いたっ!」
 いっしーと別れた後自分が何をしていたか思い出そうとしたとき、頭の奥に痛みが走った。
「…………あれ、わたし何してたっけ?」
 しばらくしてずきずきとする鈍い頭痛が治まり、わたしはさっきの続きをしようとして……何をしていたのか思い出せずに首を傾げた。
「何だっけ……何の夢を見てたかだったっけ? いや違うなぁ……う〜ん」
 なかなか思い出せずに何だか頭の中がもやもやしたような気分でいると、下の階からお母さんがわたしを呼ぶ声が聞こえた。
「……ま、忘れるぐらいだし大したことじゃないよね」
 わたしはさっきのことを心の片隅にしまうと、は〜いと大きく返事をして一階に降りた。


「うぅ、なんか両腕がだるいなぁ……」
 学校までの道のりをいっしーと歩きながら、わたしは腕をさする。
「なんでだろ、別に昨日何かしたわけじゃないのに」
 そうわたしが愚痴ると、いっしーが考えるような仕草をしながら言った。
「もしかして夢遊病だったりしてな」
「夢遊病?」
 聞きなれない単語にわたしが聞き返すと、いっしーは説明口調で答える。
「まあ大雑把に言うと、寝ながら辺りを徘徊する病気かな。みやっちの場合は眠りながら深夜に町を徘徊して、誰彼構わず見つけてはその凶暴な拳で襲い掛かり……昨日も罪の無い一般市民を襲いまくって筋肉痛になったというわけだな。おお、怖い怖い」
 いっしーはそう言って脅えるような仕草で自分の身を抱きしめる。
「ああっ、なんていうことっ。また新たに犠牲者が出てしまったわ」
 いっしーの腹に恐怖の拳を押し込めながら棒読みでそう言うと、わたしはその場に崩れ落ちる哀れな犠牲者を一瞥して道を先へと歩き続けた。
「ふぅ、ひどいぜ、みやっち。………こんなこともあろうかと腹に雑誌を仕込んでいて正解だったよ」
(……あれ?)
 後から追いついてきて、わたしに見せるように雑誌を片手に掲げるいっしーの様子を見て、わたしはあることに気づいた。
「どうしたみやっち、俺の顔になんかついてるか?」
 歩きながらずっと自分の顔を見ているわたしに気がついたのか、いっしーは照れるように自分の顔を袖でごしごしと拭く。
「……う〜ん、駄目ね。まだ目と鼻と口がついてるわよ」
「サンキュー……って取れるか!」
 いっしーはそう突っ込みを入れるとけらけらと笑いながらわたしの横を歩く。
(やっぱりおかしい)
 今度はいっしーに気づかれないようこっそりといっしーの様子を窺う。
 わたしの隣を歩くいっしーは相変わらず明るい様子で、気づいた今よく見てみると不自然なほどに明るい態度でわたしに接する。
 いっしーのそのおかしい行動にわたしは今まで気づかなかった――いや、幻覚がいっしーにばれまいとわたしがわざと明るく振舞っていたから気づけなかった。
(ひょっとしていっしーも、わざと明るく振舞っている?)
 今まで明るく振舞う自分の態度に合わせてくれているのかと思っていた。しかし今こうして思い返してみるといっしーは時々何かを考えるかのように黙ったり、何かを誤魔化すようにいきなり高いテンションになったりと不審な態度を――わたしと同じことをしていた。
(もしかして……)
 わたしはある思いを胸に抱きながら学校までの道のりを、笑いながら会話するいっしーと共に歩いた。



「五年前の再現……か」
 それまで手に持って眺めていた資料を机の上に置いて私は考え込む。
 半年前の事件が起きたときに、加害者の当時の担当医であった高村の経歴を調べて浮かび上がってきた五年前のある出来事。
 半年前のものと今回のこの実験は、五年前のそのときの情景とかなり近いものがあった。だが――。
「そんな運頼りの実験、うまくいくわけがないわ」
 まず実験の内容を考えてこの実験の条件に合う人間がいないし、もし仮にいたとしてもその被験者が最後まで実験どおりに行動してくれる保障も無い。
 正直、今回の実験も失敗するだろうなと私は思っていた、昨日までは。
「……確かにアレならそれらの条件も満たせるかもしれないわね」
 いまだに少し痛む腕をさすりながら私は昨日の事を思い返す。
 例え失敗するとはいえ、何が起きるか分からない危険な目にあの子達をさらすことを私は快く思わなかった。だから私は一人で何とかしようとする私の従姉弟、いっしーの意向を背くことにした。
 初めのうちはまあ彼のご立派な意志を尊重してあげてもいいかと思い、馬鹿らしい嘘にもつきあってあげていた。しかし話が悪い方向に進んでいくうちにとうとうこらえきれなくなった私はこの問題に介入することを決意した。
 この実験を潰す最も簡単で手軽な方法、千夏ちゃんの幻覚を治してしまおうと思った私はいっしーにばれないようこっそりと診療所に呼んだのだが……。
 私は腕を組んで考え込みながらつぶやく。
「……でもそれならこんな茶番は必要ないはず。それに高村がそんな紛い物で実験をやりたがるとも思えない……となると別の誰かが?」
 しかし半年前に高村の経歴を調べた際、ついでに例の医療センター内で彼に近しい人物のものも調べてみたのだが、これといって怪しい人物は存在しなかった。
 私は深く息を吐くと、椅子の背もたれに深くもたれる。
 そもそもあの医療センターはいったい何なのか。病院というより研究所に近いようだけども、ただの研究所が自分の名前が出ないように半年前の事件をある程度もみ消したり、事件を起こした高村をそのまま使い続けたりするだろうか。
「……これは徹底的に調べる必要があるわね」
 私はにやりと笑みを浮かべてそうつぶやくと、椅子から立ち上がって書棚に向かう。そしてその中から調査のために必要な書類をいくつか引っ張り出すと、私は早足で部屋から出た。



「――でね、最近買った『アルプスの戦士ハイヅ』っていう本が……いっしー聞いてる?」
 学校からの帰り道をいつものようにいっしーと共に会話をしながら歩いていたわたしは、それまでしていた話を中断していっしーに訊ねる。
「え? ああ、アルプス一万尺が何だって?」
 何かに思考を巡らすような視点の合わない目をしていたいっしーは、突然わたしに話しかけられて慌てたように会話をあわせようとする。
「………お、おいおいどうしたんだよそんな顔して。道端に落ちてた物でも食って大当たりでも引いたか?」
 暗い表情を浮かべて自分を見つめるわたしを見て、いっしーは誤魔化すような軽口を叩く。
 なおも何か言い続けようとする彼の口を遮ってわたしは言う。
「ねぇいっしー、何か隠してない?」
「………何かって?」
 相変わらず明るい笑みを浮かべているものの、目だけはこちらの真意を探るようにわたしをまっすぐ見つめながらいっしーは聞き返した。
 わたしは彼の目をまっすぐに見つめ続けながら、意を決して口を開く。
「最近のいっしーおかしいよっ? 変にテンションが高かったり、かと思ったら授業中とかずっとぼんやりしてて………ねぇ、いったいどうしたの?」
「…………」
 今朝から思っていたことを一気に吐き出すようにわたしはいっしーに問いかける。わたしの言葉を聞いて顔から笑みが消えつつも黙ったままでいる彼に向かってさらに続ける。
「確かにわたしはいっしーにいつも負けてばっかりだし、わたしなんかじゃ全然頼りにならないかもしれないけど――でも、それでも相談に乗ったり愚痴を聞いてあげることぐらいなら出来るよっ。だから、何か悩み事があるなら一人で抱え込まないでよ……」
 いっしーへの心配と、彼が悩み事を一人で抱えていたことに対しての怒り、自分は彼にとって頼りにならない存在なのだろうかという不安、なぜ彼の悩みにもっと早く気づかなかったのだろうという後悔が一気に押し寄せてくるのを必死にこらえながら、わたしはじっと彼の返答を待つ。
「……………」
 いっしーは口を閉ざしたまま、ずっとうつむいてわたしの言うことを聞いていた。そして、ゆっくりした動作で顔を上げるとぼそりと低い声でわたしに向かって言った。
「………人のこと言えるのかよ」
「――え?」
 初めて見る彼の怒りの表情に、わたしのさっきまでの威勢は一瞬で消え去った。
「な、なんのこ――」
「とぼけんな。『一人で抱え込まないでよ』? じゃあ幻覚のことをずっと俺に隠して、一人で抱え込んでるお前はどうなんだよっ!」
 怒鳴られて思わずわたしは身をすくめる。そして混乱する感情を何とか抑えこみながら今の状況を自分なりに懸命に理解しようとする。
 ――あれ? いっしーの悩みを解決して、喜ばせて、安心させてあげたいだけだったのに。どうしてこうなってるの……?
 それに……それより、どうして――。
「なんで、幻覚のこと知って………?」
 心の内で考えてるつもりがつい口から出てしまったその言葉に、いっしーは失敗したと言いたげな表情を浮かべる。
 わたしはその表情を見て全てを察し、消え入りそうなか細い声でつぶやく。
「そっか……前から知ってたんだね。知ってて、今までわたしの下手な演技とかにわざと騙されてる振りをして――ははっ、わたし馬鹿みたいだね………ほんと、ばかだ」
 言葉の途中から堰を切ったように涙がぼろぼろとこぼれ始め、最後の方は嗚咽が混じって声にならなかった。
 幻覚を稚拙な演技で隠した気になって、いっしーに悩み事があると変に勘ぐって、あげくの果てには自分を棚に上げて説教。……こんなに自分が嫌いになったのは初めてだった。
「……あの」「――っ!」
 いっしーに声をかけられると同時にわたしの全身はびくっと震え、その次の瞬間にはわたしの体はその場から脱兎のごとく逃げ出していた。
 ………なんで逃げ出したのかなんて、自分でもよく分からない。
 あの重たい空気にい続けることが嫌だったのか、馬鹿な自分をこれ以上いっしーに見せたくなかったのか、いっしーに拒絶の言葉を言われるのが怖かったのか。
 ――分からない。けれど逃げ出したわたしはもう足を止めて戻ることなんて出来なかった………。 

 

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