見えない宇宙人
−18話−
黒蒼昴
「……やっぱいるわけないよな」 朝、いつも学校に行くときにみやっちと待ち合わせしている公園で俺は一人、そうつぶやいた。 昨日あの後、逃げだしたみやっちを慌てて追いかけたものの最悪なことに途中で姿を見失ってしまった。 家まで行ったが話をするどころか顔を見ることさえ叶わず、彼女の親には「喧嘩でもしたの?」と不思議そうな顔で訊ねられた。 俺は珍しく横にみやっちのいない、一人だけの寂しい通学路を歩く。 「くそっ! なんであんなことをっ!」 昨日の自分の態度と言動を猛烈に後悔する。 いくら考えても調べても高村に対抗する方法が、みやっちを助ける方法が全く思いつかなかった。所詮中学生の自分がいくら頑張ったところで、結局は何もなりはしない。だからといって、あきらめてみやっちを奴の好きなようにさせることだけは、傷つけるようなことはさせたくなかった。なのに――。 「……俺が一番傷つけてんじゃねぇか」 俺は力が抜けたように肩を落としながら、自嘲するようにそうつぶやいた。 あの時みやっちは本気で俺の事を心配していたんだろう。だが俺は彼女の心配を拒絶し、ひどい言葉を言ってしまった。気がついたときには彼女はひどく悲しげな顔をしていて、咄嗟に謝ろうと口を開いた瞬間目の前から走り去ってしまった。 「はぁ………最低だ」 俺は深くため息をつくと、学校までの道をとぼとぼと歩き続けた。 「あれ? 休診なんて珍しいな」 ドアノブにかけられたプレートを見て俺はそうつぶやいた。 みやっちに全て知られてしまった以上智姉に隠す必要も無く、彼女に全てを打ち明けてみやっちの治療をしてもらおうと 俺は放課後、智姉の診療所の前に来ていた。 ……本当なら、智姉に頼らず自分の力で何とかしたかった。だがみやっちを傷つけてしまった今の俺に一人で何とかできる自信など全く無かった。 試しにドアノブを捻ってみると鍵がかかっていなかったので、中の様子を伺いながら診療所の中に入る。 「智姉〜、いるのかぁ?」 声をかけながら中を進み、奥のドアを開ける。すると、机の上に屈むようにして何かを考えている様子の智姉の姿が目に映った。 「……智姉?」 「おわっ!」 部屋に入ってきた俺に全く反応が無かったので智姉の肩を叩くと、彼女は驚いた表情で叫び声を上げた。 「ああびっくりした。寿命が数秒縮むかと思ったわよ。いつ部屋に入ってきたの?」 「ついさっき、ってか何だよ今の叫び声。まるでおっさんみたい、いてっ」 言葉の途中で俺は智姉に頭をはたかれる。 「さて、今日は何の用? また小説のネタ探しにでも来たの?」 智姉は椅子の向きを変えて患者用の椅子に体を向ける。俺は彼女に促されるように椅子に座ると、意を決して口を開く。 「実は……信じられないかもしれないけど。その小説って、全て本当のことなんだ」 智姉は俺の突然の打ち明けに少し意外そうな表情をしながらも口を開いて俺に訊ねる。 「………理由は?」 「――え?」 きょとんとする俺に智姉は呆れたように少し笑みを浮かべて言う。 「理由よ理由。今さらそれを話すってことは何かあったんじゃないの?」 相変わらず智姉は鋭いなと改めて感心し、俺は苦笑いを浮かべる。そして彼女に昨日のみやっちとの出来事を簡単に説明した。 「………ベスト・オブ・馬鹿で賞を授与してあげるわ」 「うっ……」 とげのある非難めいた言葉に俺は思わず呻く。 「まぁ、携帯電話を抜かれても気づかないくらいの鈍感だししょうがないかな……」 ため息をつく智姉のぼやきに俺が何のことか訊ねると智姉は誤魔化すように何でもないわと苦笑いして言う。 「あんたの性格を考えてもう十分自分を責めたでしょうから、私からとやかくは言わないでおいてあげるわ」 「……ありがと。………そうだ智姉、どうしても頼みたいことがあるんだ」 みやっちの治療を頼もうと俺は真剣な口調でそう切り出すと智姉は少し考えるような表情を浮かべ、口を開いた。 「――ねえ暗示って知ってる?」 「へ? 暗示? あ、いや今はそんなことより――」 いきなり話題を変えられて戸惑う俺の様子を無視して智姉は話を続ける。 「簡単に説明すると暗示は、言葉や合図なんかで相手の思考や感覚、行動なんかを操作する心理作用――まあ簡単に言うなら催眠術みたいなものね」 「………暗示がどういうものかは分かったけど、それがどうしたんだよ」 無視されて半ばふて腐れたように俺がそう言うと、智姉は何故かにっこりと微笑み――いきなり人差し指を俺の目の前に突き出した。 「おわっ! な、なにすんだよ、智姉っ」 反射的に椅子から仰け反って文句を言うと、智姉は悪びれた様子もなく首を傾げながら残念そうな口調で言う。 「う〜ん、やっぱり素人が付け焼刃でやっても無理みたいね」 「いったい何がだよ?」 俺が怪訝な顔で言うと智姉は指を引っ込めて言う。 「こうやっていきなり何かを突き出して、相手がそれに気を取られた瞬間に催眠状態にして暗示をかけるっていう方法があるんだけど、やっぱり素人じゃ無理ね」 智姉はゆっくり首を振って言う。 「そりゃそうだろ。むしろそこらの人が普通に出来たら世の中やばいことになるだろうし」 「それもそうね。せっかくいろいろ辱めさせてやろうと思ったのに、残念だわ」 そう言って智姉は立ち上がる。 「あら、もうこんな時間ね。今日はもう帰りなさい。私もやらなきゃいけないことがたくさんあって結構忙しいのよ」 智姉はそう言い終わるや否や、俺の体を椅子から立たせ、ぐいぐいと無理やり部屋の外の方へ押しだし始めた。 「ちょ、おい智姉っ! 頼む、みやっちの治療を――」 慌てて抵抗する俺を押しながら智姉は言う。 「残念だけど、そっちに割いてる時間は無いの。それに私の予想が正しいなら、千夏ちゃんの幻覚を解く条件はいっしー、あんたよ。……ここにはもう来ないでね」 智姉の力に敵わず、俺は部屋の外まで押し出される。そして「健闘を祈るわ」という声と共にドアが閉まり、ガチャリと鍵の閉まる音がした。 「ちょっ、治せるのは俺だけってそれってどういう意味だよっ、智姉!」 追い出された俺はしばらくの間何度もドアノブをガチャガチャと捻り、ドアをノックするが、ドアが開くことはおろか中から何かしら反応が返ってくることさえなかった。 「………やれやれ、やっと諦めてくれたわね」 ドアの前から人の気配が無くなり、私は一息吐いて椅子に座る。 「――蓋を開ければ何とやら。なるほど、高村の目的ばかりに目が行き過ぎて実験の内容自体には目が行かなかったわ」 私は先ほど邪魔されるまでの自分の考えをまとめるように一人つぶやく。 それならあの医療センター、いや研究所が高村の実験に協力しているのにも説明がつく。まあ協力というよりは互いに利用しあっていると言った方が正しいのかもしれないけれど。 私は深く息を吐いて目の前のパソコンのモニターを見つめる。 「……正直盲点だったわね。道理で前回経歴を調べたときに何も埃が出てこなかったはずだわ」 私は手に持った顔写真入の経歴書とモニターに写った画像とを見比べてつぶやく。 「彼女がこの実験のお膳立てをしている人物で間違いなさそうね。でもわざわざ人間一人分の経歴を用意するなんてずいぶん用心深いというか……いや内容が内容だし当然? でもそれならどうして他の所員はともかく高村まで経歴が隠されてなかったのかしら……」 しばしの間考えに更けるものの全く結論が出る気配はなく、私は疲れたように深く背もたれにもたれて天井を仰ぐ。 「……それにしても宇宙人の姿が見えるっていうのは、いったいどんな気分なのかしらね。やっぱり千夏ちゃんやあの事件の犯人みたいに恐怖心とか抱いたりするのかな――事件……?」 勢いよく体を起こすと、私は手早くパソコンを操作する。 「――あった」 所員の経歴データを見る前に一度見た、今まで行われた高村の実験のリスト。 少なくとも高村の実験は三年前から行われていたらしくそれらの詳細なデータがそこにまとめられている。 このデータを見る限りでは今までの実験は高村の目的は達成できていないものの、実験的な意味ではどれも成功に近い結果を残している。 だからこそ疑問が生まれる。 ただでさえこの実験の成功率は高村の目的を抜いてもそう高くはない。しかし彼女のお膳立てのおかげか今まで全ての実験は成功している。 「でも半年前の事件では失敗……」 ゼロパーセントの失敗などありえない。もしあるとすればそれは失敗ではなく誰かの故意によるものだ。 ………正直考えすぎと言えばそうかもしれない。これが単なる一回目の失敗である可能性は十分に、というよりそちらの方を考えるのが当たり前である。だいたい、そんなことをしていったい何の得が――。 「………本当に運が無いわね」 この実験に巻き込まれた二人、この実験を行う彼、そして彼女と私自身に向けてぽつりと小さく低い声で告げる。 私はいくつか操作してからパソコンの電源を切ると椅子からゆっくり立ち上がる。 「――さてと、とりあえずはここから逃げる準備と……全力で足掻く準備ね」 不敵な笑みを浮かべながら私はそう楽しげな口調でつぶやいた。
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