見えない宇宙人

−20話−

黒蒼昴



「――さて少し早いけど、今日はここまでにしておこうか」
 高村さんと冗談を言い合いながら治療をしているうちにいつの間にか気がついたら、もう夕方になっていた。
「千夏ちゃんはこのあとなんか用事とかあるかい?」
「え? 別にないけど。……何、ナンパ?」
 わたしがからかうように言うと、高村さんは、はははと笑って答える。
「う〜ん、似たようなものかな? ちょっと喉が渇いてね。さっきの喫茶店に行かないかい、良かったらおごるよ?」
「でも、自動販売機ならすぐそこにあるよ?」
 わたしがすぐ向こうに見える自動販売機を指差すと、高村さんは困ったような表情をして言う。
「千夏ちゃん、目の前に自動販売機があるのに喫茶店に行こうって人が誘ってきたときは、大抵何か話したいことがあるときなんだよ。それとも千夏ちゃんは外で長々と立ち話をするほうが好きなのかい?」
「うぇっ? ごめん。喫茶店で座って話す方がいい」
 そんなこと全く思いもつかなかったわたしは恥ずかしい思いをしながら慌てて答える。
 だよね、と高村さんは笑顔でうなずくと、駅前の喫茶店に向かって歩き始めた。
「でも、話ってなんの? やっぱりこれからの治療の話とか?」
 わたしは横を歩きながら高村さんに訊ねるが、彼は「それは着いてからのお楽しみさ」と言って教えてくれなかった。
「うぅ……ケチ」
 わたしがムッとなってそうつぶやくと、高村さんはからかうように言った。
「ふむ、じゃあ喫茶店のお茶代は割り勘だね。僕はケチだから」
「え、そんなぁ」
「はっはっは、冗談だよ」
 そんな感じでとりとめもない会話をしているうちに、わたしたちはいつも使っている駅前の喫茶店に着いた。
 時間帯が時間帯だからか店の中は結構込んでいて、わたしたちはちょうどそこだけ空いていた一番奥の席に座る。
 互いに飲み物を注文し、それが来てから高村さんはわたしの顔をまっすぐ見つめて口を開いた。
「さてと、今日は治療中もなんだか浮かない顔をしていたけど、いったいどうしたんだい?」
「――え?」
 わたしは思わず高村さんの顔を見る。彼はと軽く苦笑いして続ける。
「今日は会ったときから元気がなかったし、治療中もぼんやりしていることが何回かあったからね」
 高村さんは少し間を置いて、真剣な顔をする。
「……たしかに、症状がひどい今、千夏ちゃんの精神的負担も重くなってきているかもしれない。だけど、それはあくまで今だけ。今の痛みを乗り越えれば千夏ちゃんの病気は治る――いやきっと治してみせるよ」
 高村さんは力強い口調でそうわたしに約束してくれた。
「………高村、さん」
 今まで幻覚が見えても頑張って無視したり、必死になんでもない様を振舞って、そしていっしーに全部それがばれて、いっしーとの間に壁のようなものが出来て……今まで我慢していたものが一度に押し寄せてきて、わたしの目から涙がぼろぼろと勢いよくこぼれ始める。
「ほらっ、泣かない、泣かない。千夏ちゃんにそんな顔は似合わないよ」
「――うん、分かった……」
 わたしは涙を拭うと、頑張って表情に笑みを作る。
「そうそう、その顔さ。う〜ん、おしい。僕があと十歳若ければ今この場面で千夏ちゃんに求婚してたんだけどなぁ」
「今の高村さんがわたしに手を出したら犯罪だもんね」
「はっはっは、これは手厳しい」
 わたしたちは互いに冗談を言い合って、笑う。
「――さてと、千夏ちゃんも笑顔になったことだし、次に会う日取りを決めようか」
 高村さんはそう言うと、胸ポケットから手帳を取り出し、机に置いた。
「えっと僕の都合が空いてる日は――」
 そう高村さんが言いかけたとき、彼のズボンのポケットから携帯電話の着信音が鳴り響く。
「うわっ、ちょっとごめんね――」
 喫茶店の中はやかましくて通話しづらいと判断したのか、高村さんは慌てて席を立つと小走りで店の外に出ていった。
「――あれ?」
 わたしはその姿を目で見送った後、ふと机の上に置かれたままの高村さんの手帳に気がつく。
(そういえば普段高村さんってこの手帳に何書いてるんだろ……?)
 以前、見せてと頼んだときには高村さんにしてはなぜか強情に断られたこの手帳の中身。
(やっぱりわたしの見た宇宙人の幻覚の姿とか、治療の日程とか書いてるのかな?)
 わたしは普段治療のときに高村さんがしきりにこの手帳に何かを書き込んでいる様子を思い出す。
「……ちょっとくらいなら、いいよね?」
 幸い、高村さんは電話が長引いているらしく、すぐには戻ってくる気配が無かった。
 わたしはそろそろと手を伸ばして手帳を掴むと、さっと自分の手元に手繰り寄せてそれを開いた。
「えっ……?」
 わたしはそこに書かれている文面を見て思わず目を疑う。
「…………何、これ?」
 その文面はさっきまでわたしが予想していたものとは全く異なるものだった。
「あれ、お、おかしいな」
 震える声でわたしはつぶやく。
 これ、本当に高村さんの手帳だよね?
 わたしは手帳を裏返してカバーを見る。確かにこのカバーには見覚えがある。高村さんの手帳であることに間違いはない。
 でも……さっき、今まで高村さんが言ってたことと、この手帳に書かれている内容は相反するものだった。
 その手帳には今までわたしが報告したことがある幻覚の容姿が書かれていた、ただしそれらは幻覚としてではなくなぜか全部宇宙人の名前らしきものと詳細がついていた。
 それだけなら、まだもしかしたらふざけてそういう風に書いてるのかなとも思えた。でもわたしについて書かれた箇所を見て、わたしは愕然とする。
 特異体質の人間、カモフラージュを見破る、後頭部による衝撃によって何らかの能力が目覚めたものと推測――などなどよく分からない、いや本当はなんとなく理解はできるけれども頭が、感情がそれを拒否している。
 いや、それよりもその次の、宇宙人を見た時の反応の実験って? 少しでも変なそぶりがあれば実験は中止、速やかに対象を削除――対象ってわたし? 削除って、削除って何?
 わたしはそれ以上手帳の文面の続きを見る気には到底なれず、震える手でそれを閉じて元の位置に戻す。
(え、これって何、どういうこと? さっきの励ましは全部嘘? 今までの言葉は全部嘘?)
 わたしの頭の中がパニックになりそうなくらい混乱していると、ふいに肩を誰かに叩かれた。
「――っ!」
 反射的に体が過剰に反応してびくっと震える。
「――おっとっと、驚かせちゃったかな? 千夏ちゃん、大丈夫かい? なんだか顔色が悪いよ?」
 いつの間にか、わたしの横に心配そうな表情を浮かべる高村さんが立っていた。
「え――あ、だ、大丈夫、うん大丈夫」
 あまりにびっくりしたためか声が思うように出ず、どもりながらわたしは答える。
「そうかい……?」
 高村さんは訝しげな表情をしながらもわたしの向かいの席に戻って座った。そして何気ない口調でわたしに訊ねた。
「千夏ちゃん、僕の手帳見た?」
「――う、ううんっ。何も見てないよっ?」
 優しい微笑みを浮かべる顔とは対称的に、高村さんの目はまるでわたしの心を見透かそうとするかのように、鋭く射抜くようにわたしの瞳を見つめていた。
 それに気押されながらも、わたしは必死で何でもない様を装いながら答える。
「…………ふ〜ん、ならいいけど。いやぁ、ごめんね。この手帳には他の子の個人情報とか載ってるから、見られると少しまずいことになるのさ」
 長い沈黙のあと急に高村さんがいつもの明るい口調でそう言った。
(……まずい、こと)
身がつぶされそうなほどの重い空気から解放され、わたしはひとまず心の中でほっと一息をつく。けれど、彼が言葉の終わりに言った『まずいこと』の意味について意識すると、思わず背筋がぞっとした。
 わたしの思考をよそに、高村さんは明るく微笑みながら手帳を広げるとわたしに言う。
「で次に会う日なんだけど、急で申し訳ないけど明日の夕方でいいかな」
「は、はい、いいですよ」
 急に声をかけられてわたしはつい反射的に返事をしてしまった。
「そうかい。じゃあね、千夏ちゃん。また明日に」
「はい……」

 

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