見えない宇宙人

−22話−

黒蒼昴



 ここまで走ってきたため、ぜいぜいと息を切らしながら俺は目の前のインターホンのボタンを押した。
 ピンポンというチャイムの小さな音が家の中から漏れ聞こえてから、しばらく待ったが誰も出てくる気配が無い。
 念のため、もう一回インターホンを鳴らすが、やはり何の返事も返ってはこなかった。
「……みやっちの家も留守かよ」
 だがなんとなく居留守を使われているような気がして、俺は試しにドアノブを捻ってみる。
「…………」
 ドアノブは何の抵抗もなくあっさりと回った。
「みやっち〜、勝手に上がらせてもらうぞ〜」
 ドアを開けて玄関に入ると、俺は二階に向かってそう声をかける。
「…………」
 少し待ってみるものの、返事がないので俺は勝手に靴を脱いで家の中に上がらせてもらうことにした。
(そういえば、みやっちの家に上がるのはずいぶん久しぶりだなぁ)
 俺は少し懐かしく感じながら、みやっちの部屋がある二階へと階段を昇る。
「みやっち、いるのか? 入るぞ?」
 コンコンとみやっちの部屋のドアをノックして、俺はドアノブを捻る。
「……おいおいみやっち、いくら俺でもピッキングなんていう技術は持ってないぜ。この鍵、開けてくれよ」
 俺はいつものように軽い冗談を叩きながら明るい口調で、ドアの向こうにいるみやっちに声をかける。
「……………」
 だが、いくら待っても返事は返って来なくて重い沈黙の間が流れる。
 ふぅ、と大きく一息を吐くと俺は両手をぎゅっと握り締める。そしてドアの前でしゃがむと、部屋の中にいるであろうみやっちに向かって土下座の姿勢を取って大声で言う。
「すまなかった!」
 部屋の中からがたりと小さい物音がしたが、構わず俺は続ける。
「本当俺は大馬鹿なやつだ。幻覚に苦しむみやっちを助けようとして助けられず、挙句の果てにはみやっちの心配を拒絶して、大きく傷つけて、脅えさせて……」
『…………違う』
 ドアの向こう側で小さいながらもはっきりと声が聞こえた。
『違うの。謝るのはわたし。いっしーに幻覚のことを隠しててたくさん心配させて、心を苦しめて……大馬鹿なのはわたしの方だよ……ごめん……ごめん、なさい』
 みやっちの涙ぐんだその声を聞き、俺は沈痛な思いをしながら言う。
「いや、俺が悪いんだ。かなり前からみやっちの症状に気がついていた。なのに、俺はみやっちを傷つけるのが嫌で無理にそのことを聞こうとしなかった。お前の心の悲鳴を無視した。そしてみやっちの心を大きく傷つけることになってしまった」
 俺は体を起こし、ドアの方を向きながら真剣な表情で言う。
「……なあ、みやっち。今からじゃもう遅いのかもしれない。だけど言う。みやっち、俺はお前を助けたい。例えお前がそのとき遠慮しても断っても嫌がっても、俺はお前の力になりたいんだっ! お前のいつもの笑顔が見たいんだっ! だからここを開けてくれ、みやっち。一緒にこれからどうするか考えよう……!」
 俺は閉ざされたドアの向こうのみやっちの心に直接届けたくて、叫ぶようにそう力強く語りかけた。
 しばらく沈黙が続き、やがて嗚咽の混じった声が返ってきた。
『……………見えないの』
「え?」
 その声は小さくて良く聞こえず、俺は聞き返す。
『見えないの……何もかも町の、人や物全部っ、宇宙人に……宇宙人にしか見えないっ、宇宙人だらけ………幻覚なの? 本物なの? わかんない……なにも、わかんないっ! けど、嫌だ……いっしーも、宇宙人なんかにみえたら……そんなの嫌だっ………!』
 あとはもうずっと泣き声だけが続いた。俺はただ黙ってドアの前に座りこみ、みやっちが落ち着くのを静かに待ち続ける。
『………ごめん』
 しばらくの間泣き続けて、ようやく落ち着いたのかみやっちは元気のない声で再び謝った。
「――いいさ。じゃあ、ドアは開けなくて良いから、せめてみやっちに今まであったことを全て話してくれないか。こればかりは話してくれるまで俺は絶対ここから動かない。ほらほら、俺に全部話さないとみやっちは部屋から出れなくなってトイレにもいけなくなるぞ〜」
『……あはは、それは困るなぁ。……うん、分かった。……今まであったこと全部、話す』
 さっきよりも少し元気のある声で返事が返ってきたことに俺はほっとする。そしてみやっちは、街中で突然見え始めた幻覚のこと、それらが見えて今までとても不安だったこと、高村に出会いその治療をしていたこと、高村の手帳を見るとみやっちの見ている幻覚は幻覚でなくて本物の宇宙人だと書いてあったことなど全てを俺に話してくれた。
 俺は普通の人が聞いたら笑うか、馬鹿にするようなその話を黙って否定することなくうん、うんと頷きながらみやっちの話を聞き続けた。
『………これで全部だよ。ねえいっしー、わたしの見える宇宙人は本物なのかな。それともやっぱりただの幻覚なのかな』
 みやっちの疑問に俺はゆっくり首を振って答える。
「――わからない。けれどこれだけは言える。例え、この先どんなことが起ころうとも俺は全力でお前を守る。この先どんなことが起ころうとも俺はお前のことを全力で信じる。だからお前も俺のことを信じてくれ」
『――うん。わたしはいっしーのこと信じる!』
 その力強い返事に俺は例え今から何が起ころうとも、全力でみやっちを守る決意をした。



「いよいよ今日ですね」
 他の所員との実験の段取りを済ませて部屋から出てきた僕に、部屋の外で待っていたのだろう村井君が声をかけてきた。
「わざわざ待ってくれていたのかい?」
 僕は彼女の横に並んで歩きながらそう訊ねる。
「ええ。……今回こそうまくいくといいですね」
「それは違うよ、村井君」
 僕の言葉に「え?」ときょとんとした表情を浮かべる彼女に僕は真面目な口調で言う。
「何事もうまくいくといい、じゃなくてうまくいかせるものだよ。それが成功のコツさ」
「ふふ……今まで実験を失敗している高村さんに言われてもいまいちピンときませんね」
「……これは手厳しい」
 村井君の厳しい指摘に、僕は困ったように苦笑いを浮かべる。
 敷地内の駐車場に停まった彼女の車に乗り込むと、僕は前の景色を見据えながら口を開いた。
「今度こそ……玲奈、あのときの君の想いを、理解してあげられる……!」
 僕は固く拳を握り締めながら、静かにけれど力強い口調で玲奈に向かって誓う。
「…………」
 運転席に座った村井君は何も言わずに黙って車を目的地まで走らせた。



 夕方、俺は駅までの道のりを一人歩きながら、昨日からみやっちと話し合い、考えて練った打開策をもう一度頭の中でシミュレートする。
高村の実験の目的は分からない。だが実験というからにはそれには高村という観測者が必須なはずだ。つまり観測者さえ、実験を行う者さえどうにかしてしまえばこの実験は恐らく止まる。
(全力で高村を、止める)
 ……分の悪い賭けであることは分かってる。だが、今自分達に出来る最善の手はこれしかなかった。
 駅前の喫茶店についた俺はよし、と小さく声を出して気を引き締め、喫茶店の中に入った。



「――では私はここで待っていますので」
 駅前まで高村さんを車で送った私は、車から降りた彼にそう告げる。ああと頷いた彼は車を降りかけ、ふと私のほうを振り向いて言う。
「村井君、僕の実験に協力してくれて本当に感謝しているよ」
「……嫌ですね、まるで最後のお別れみたいなセリフですよ、高村さん。近々死ぬ予定でもあるんですか?」
 私が冗談っぽく笑みを浮かべてそう言うと、高村さんはそれもそうだねと苦笑いを浮かべて車から降りる。
「でも本当に君には感謝しているよ。君が今の研究所に僕を紹介してくれなければこんなことは出来なかったからね――ありがとう」
 彼は改めて私にお礼を言うと、離れていった。
「…………」
 喫茶店に入って行く彼の姿を見送った後、私はゆっくりと息を吐き出す。そして無表情で携帯電話を取り出すとそれを操作して耳に当てる。
「――もしもし、私です。……大変なアクシデントが起こりました。……ええ、実験は中止です。全ての所員を研究所に集めてください。……ええ。必ず全員を研究所に集めてください。では――」
 電話を切ると、私は再び操作して耳に当てる。
「……始めましょう。全ては計画通りに……ああそうそう、今夜もしかしたらお客様が来るかもしれません。彼女を丁重にもてなしてあげてくださいね。それでは成功を祈ります」
 私は電話を切ると誰に言うでもなく静かにつぶやく。
「……こればかりはいつまで経っても慣れませんね」
 私はズボンのポケットに上から手を当てて中の物を確認すると、深くため息をついた。



 喫茶店の席は空いていて、客は奥の席にいる一人だけだった。
 その客は入ってくる俺の姿を見ると、少し驚いた表情を浮かべて言った。
「おや、いっしーくんじゃないか。久しぶりだね、元気にしてたかい?」
「ああ。この通り風邪一つ引かず、ピンピンしてるよ」
 俺はそうにやりとした笑みを浮かべて高村の向かいの席に座る。
「そうかいそれは良かったよ。今年の風邪は少々やっかいらしいからね」
 高村も同じような笑みを浮かべ、明るい口調で続ける。
「ところで千夏ちゃんでなく君が来たということは、僕は千夏ちゃんに振られたということなのかな。それともいっしー君が僕に恋焦がれる余り千夏ちゃんを押しのけてしまったのかな? ああっ、まさかこれが俗に言う三角関係とかいうやつなのかい?」
「………とりあえず殴っていいか?」
 万が一のときには例え高村と刺し違えてでもみやっちを守る覚悟でここまで来たというのに、すっかり調子を崩されてしまった俺は高村に握り締めた拳を見せる。
 だが高村はそれに臆する様子もなく、少し呆れたようにため息をついて言う。
「これくらいの冗談も解せないようじゃ千夏ちゃんに嫌われちゃうよ? ……やれやれしょうがないね。短気ないっしー君のために本題に入ってあげるとしよう」
「本題……?」
 そう聞き返すと、そうだよと高村は今までとは打って変わって真剣な顔つきをして静かに切り出した。
「この実験の理由、目的――五年前にあった出来事についてさ」
 高村は少し遠い目をしながらそれを語り始めた。

 

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