見えない宇宙人

−23話−

黒蒼昴



 わたしは不安で胸がいっぱいになりながら部屋の時計を見つめる。
(……今頃いっしーは高村さんに会ってるのかな)
 どうしても気持ちが落ち着かず、わたしは部屋の中をうろうろしたり、改めてドアの内側のバリケードを確認したりする。
 ……本来なら発端であるわたしが行くべきなのだろうし、いっしーを危ない目に合わせたくはなかった。だけどいっしーは、頑としてわたしが行くことに首を縦に振ろうとはしなかった。
 この実験には幻覚の見えるわたしが必要。わたしが高村さんのもとに行ったら向こうの思う壺であることは頭では理解している。
 だからこうしてわたしは部屋に閉じこもり、ドアの前にバリケードを気づいて中に誰も入って来れないようにしている。まあ、さすがに家の中に無理やり入ってくるなんてことはないだろうからこのバリケードはいらない気がするけど……。
「……いっしー」
 わたしは窓から外の景色を見ながら、今高村さんと闘っているであろういっしーの身を案じる。と、そのとき窓の下、家の前に一台のワゴン車が停まるのが見えた。
「なに……?」
 気になったわたしは窓の下に身を隠しながらこっそりとその車を覗き見る。見ていると、車から二人の男の人が降りてわたしの家の方へまっすぐ向かってきた。
 少しして『ピンポーン』とチャイムの音がしてお母さんが「は〜い」と言いながら玄関に向かう音が下からうっすらと聞こえてくる。
 わたしは咄嗟になるべく玄関に近い床に耳を当てて下の様子をさぐる。
 玄関のドアが開く音。二人の男とお母さんの会話が聞こえてきた。
『私、警察の者です。お宅のお嬢さんがある事件に巻き込まれている可能性があるので保護しに参りました』
 要約すると男が言った内容はそんな感じだった。
 わたしは身を強張らせながらその言葉を聞いていた。そして体を起こすと、自分を落ち着かせるために深く深呼吸する。
(落ち着け、わたし。いっしーも闘ってる。わたしも頑張らないと!)
 わたしはあらかじめ部屋に用意していた靴を履くと、なるべく音を立てないように急いで窓のところまで移動する。そして窓を開けて下を見下ろした。
 わたしは少し物怖じするも、意を決して窓から身を乗り出し、勢いよく飛び降りた。
「………いっつぅぅ〜」
 家の前に無事着地したわたしは足の裏にじ〜ん、と響く痛みを我慢しつつゆっくりと立ち上がる。そして、横を向いて先ほどの男達の乗ってきたワゴン車を見る。
「……あ」
 運転席に男が座っており、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
「あ、おい、待てこらっ!」
 脱兎のごとく走り出したわたしの背後から男の怒声と追ってくる気配がする。
 待てと言われて待つ馬鹿ではないわたしは、日頃のいっしーとの追いかけっこで鍛えた足を使い全力で逃げる。
 けれど懸命に走り続けるもののそれにも限度がある。次第に疲れて体力がなくなってきたわたしは辺りを見回し、自動販売機を見つける。周りに誰もいないことを確認すると、急いでわたしは自動販売機と壁の間に自分の体を滑り込ませた。
「はぁ……はぁ……はぁ」
 上がった息をなるべく押し殺し、隠れながら疲れを癒していると向こうの方から道を走ってくる音が聞こえてきた。
「…………」
 わたしは体を硬直させながら、見つかりませんようにと何回も心の中で必死に祈る。
 走ってくる音は途中で歩く音に変わり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。それにつれてわたしの心拍数が上がっていく。
 男の足音は幸いにも通り過ぎていき、わたしはほっと安堵のため息をついた。
 ……二人で今後どうするか話し合ったときにいっしーは言っていた。半年前の事件。なぜあのときに高村や実験のことが表に出てくることがなかったのか。
「――っ!」
 再び男の足音がこちらに近づいてくるのが聞こえてくる。
 わたしを探しているらしき男の足音はしばらく自動販売機の前を行ったり来たりしていたがやがて、自動販売機の前で止まった。
 わたしの心臓の鼓動が頂点に達したそのとき、自動販売機を挟んだ向こう側から男の声がした。
「……目標を見失いました。……ええ、2丁目の住宅街路地の辺りです。………分かりました。一丁目の巡回にあたります」
 男の歩く音がしてだんだんと遠ざかっていくのが分かった。
「……………」
 男が立ち去ってからしばらくしてわたしは自動販売機の裏から抜け出す。
 高村の仲間達は警察を名乗る可能性がある。いっしーはそう言っていた。
 なぜなら、たいていの人は警察の人の言うことには素直に従うし、相手が本物の警察であることを疑うことはない。
 わたしは周りの様子を窺い、ときには隠れながらある場所へと向かう。この町で一番広く、一番隠れるところがある――その場所へと。



「今から五年前、僕は大学病院で教授をしていた」
 高村は過去を思い出すようにゆっくりした口調で話す。俺は何も言わずに黙って彼の話を聞き続けた。
「僕の助手に玲奈という女性がいた。玲奈は明るくて真面目ないい子でね、僕の研究の手伝いにも嫌な顔一つしなかった。玲奈との日々は本当に楽しいものだったよ」
 その言葉に嘘は無いのだろう。高村は嬉しそうな顔を浮かべてその日々のことをいくつか語った。
「そしてそんな日々を過ごすうち、僕たちは付き合うようになった。……こう言うとのろけ話のように聞こえるかもしれないけれど、心底僕は玲奈のことを愛していたし、玲奈も僕のことを心底愛していただろう。………だけど、ある日玲奈の身に異変が起きた」
 そこで初めて高村の顔から笑みが消えた。
「宇宙人の幻覚が見える――玲奈はそう言ったんだ」
 幻覚という言葉に俺の体はぴくりと反応する。それを見て高村は少し微笑むが、すぐに元の表情に戻った。
「もちろん僕は全力で玲奈の治療にあたった。だが玲奈の幻覚症状は治るどころか日に日に増していく一方だった」
 思い出すのが辛いのか、声に陰りが出てくる。だが、話の速度を落とさずに高村は淡々と語り続ける。
「症状が重くなるにつれ、玲奈は塞ぎこむようになり口数も少なくなった。けれど僕はいつものように、いつも以上に玲奈に明るく話し続けた。少しでも玲奈の気が晴れれば、少しでも玲奈が笑顔になれば、と………。ある日玲奈はぽつりとつぶやくように言ったよ。『みんな宇宙人にしか見えない』とね」
 相変わらず高村は無表情で淡々と話を続けていく。だが、その胸の内に秘めた感情を俺は分かっていた。
「……その直後だったよ。僕の目の前で玲奈が病室の窓から飛び降りたのは」
 高村はそこで口を閉ざし、うつむいて黙る。どれほどの時間が経ったか分からない。恐らくはそう長くはない時間なのだろう。だが俺にははるかに長く感じられた。
「……僕が下に行ったとき、まだ玲奈の息はあった。僕が急いで駆け寄って玲奈の身を抱いて起こすと、玲奈は優しく笑みを浮かべて『ありがとう』と――そう言って、玲奈は息を引きとった…………」
 長い沈黙の後、高村は今にも泣きだしそうな表情を浮かべて顔を上げた。
「分からない………! 僕は玲奈を治せなかった。助けてあげることができなかった! なのになぜっ、僕に向かって玲奈はあんな笑みを、ありがとうなんて言ったんだっ? 僕には分からない、分からない、分からないんだ………!」
 高村はまるで別人のように激しい口調でそう叫ぶと、しばし沈黙する。そして話を始める前のような笑みを浮かべて言った。
「――だから、僕は確かめることにした。あのときの玲奈の気持ちを。……あのときの再現を、それがこの実験の目的であり、理由さ」
「………そんな身勝手な理由で今までの実験の被害者を、みやっちをあんな目に合わせてきたっていうのかっ!」
 激昂した俺は高村の胸倉を掴みながら怒鳴る。
 確かにこいつには同情するし、悲しい出来事だったと思う。だからといって、他の人たちを実験に利用して、傷つけていいことにはならない。
「……それは僕も分かっているさ」
 首が絞まり、苦しそうな顔をしながら高村は言った。
「だけど、僕は確かめずにはいられない。そうせずにはいられないのさ」
「……ちっ」
 俺は舌打ちして高村の胸倉を離す。そして胸元を整える彼に向かって俺は強い口調で言った。
「今後一切みやっちに手を出すな! もしみやっちを傷つけるようなことをしたら俺はお前を絶対許さない」
 だが高村は相変わらずの笑みを浮かべたままゆっくり首を振る。
「いっしー君それは無理だよ。いいことを教えてあげよう。すでに実験は始まっているよ。さらに言うなら――」
 高村は勿体付けるように一呼吸置いて続ける。
「僕は君をここに引きつけておくための囮さ」
「――っ!」
 高村のその一言で俺はこいつの罠に嵌められたことに気づく。そして高村には脇目も振らず全力でみやっちの家に向かって走った。
「無事でいてくれっ」
 俺は強くそう祈りながら、全力で道を走り続けた。



「………やれやれ、いっしー君は直球だね。傷口をナイフでえぐられたような気分だよ」
 僕は服の胸元を整えると、寂しげにぽつりとつぶやく。
「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない……。僕はあの日の玲奈の思いを知るためにそれ以外のものを犠牲にしてきた。それを後悔したことなど、一度たりとも無い……!」
 僕は立ち上がると、カウンターに向かって精算を済ませ、喫茶店の外に出た。

 

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