見えない宇宙人

−25話−

黒蒼昴



 ……なんでわたしはこんな目に合っているんだろう。
 わたしは隠れるように一人暗い茂みの中に身をうずめながら思う。
 楽しい日常がずっと続いて、これからもずっとそれが続いていくはずだった。なのに……。
 わたしは顔を上げて周りを見る。
 薄暗い背景の中に、広場の遊具や木々がほんのりと浮かび上がっている。そんな風景の中にはっきりと存在するいくつもの異形の姿。
 わたしの大事な日常を奪っていった彼らの姿を少しの間でも見るのが嫌で、わたしは顔を背ける。
「いっしー………」
 わたしの口から小さく声が漏れる。
 ……わたしのせいで今、いっしーにどれだけの苦労を、重荷を背負わせているのだろう。
(重荷になんて、なりたくない…………)
 わたしはふと空を見上げる。
 空の上は雲が広がり、星も月もない、わたしの心のような真っ暗な空が広がっていた。
 どうすればいっしーに苦労をかけさせないですむだろう……。どうすればいっしーは以前のように自由に明るく過ごせるようにだろう……。
 ………そんなの答えは決まっていた。わたしという重荷さえ取り除けば――。
 そのとき、遠くの方から微かに声のようなものが聞こえてきた。
 反射的にわたしは耳をすませる。
「……みや………こだ……」
 わたしはさらに耳をすませてその声を聞こうとする。
「はぁ、はぁ……みやっちぃ、どこだっ………!」
 さっきよりも近いところから聞こえたいっしーの声は、聞いているだけで辛くなるほど、疲れ果てた声をしていた。
 わたしは今すぐにでもこの茂みから飛び出して、いっしーがこれ以上無理するのを止めたい衝動に駆られる。
 けれど、わたしの体はまるで石にでもなったかのように動かない。
「………っ!」
 ――動かないんじゃない、動けない。
 今行けばわたしはずっといっしーの重荷のまま。それに最後までいっしーの姿を宇宙人の幻覚なんかではなく、わたしの好きないっしーの姿のままで記憶の中に留めて置きたかった。
(………そう、これでいい。……速く行って、いっしー。じゃないと、これ以上その声を聞いたら、いっしーのところに……戻りたくなっちゃうからっ、また迷惑をかけちゃうからっ…………)
 服を硬くぎゅうっ、と握り締めながらわたしはいっしーがこのままわたしに気づかず通り過ぎるのを待つ。
「――みやっちぃっ!」
 今までのよりも一際大きいその声に、思わずわたしの体はびくりと反応する。と、そのとき肩が茂みに触れてかさりと小さな音を立てた。
「――ぁ」
 その音と思わず漏れ出たわたしの声を聞き取ったのか、いっしーが全力でこちらに駆けてくる足音がする。そして――。
「みやっちっ!」
 駆けつけたいっしーはほっと肩の力が抜けたような声をわたしにかけ、わたしの両肩を掴む。
 けれどわたしは自分の身を守るようにしゃがみこんだ姿勢で硬く目を瞑り、決していっしーに反応を返そうとはしない。
 ずっとこうしていればいっしーは怒るなり諦めるなりしてわたしのことを放り出してくれる。絶対にそんなことがあるはずないと知っていながら、わたしは意地の張った子供みたいにずっと動かない。
「みやっち……」
 そうつぶやくような声が聞こえ、すっといっしーの手がわたしの肩から離れる。
 そう、これでいい。これで――。そう思ったとき、わたしの体が温かい腕に抱きしめられた。
 わたしの耳の横で、優しくいっしーが言う。
「みやっち、一緒に帰ろう」
「――ぁ、ぁぁ………!」
 その言葉に思わずわたしは目を開く。
 いっしーはいつもの優しく明るい笑みを浮かべてわたしを見つめていた。
 宇宙人の幻覚なんかじゃない、わたしの好きないっしーの顔がそこにはあった。
「いっしーっ!」
 わたしは涙に濡れた笑顔で力いっぱいいっしーに抱きつく。「お、おい」と今更照れたように慌てて言う彼を無視して、わたしは抱きついたまま決して彼の体を離そうとはしない。やがて、諦めたのかいっしーはわたしの体を抱きしめ返す。
 わたしはいっしーに抱きつきながらふと気になって周りの風景に目を向けた。
 相変わらず薄暗い背景に、ほんのりと浮かび上がる広場の遊具や木々。ただそれだけの風景だった。――そこにはあれだけはっきり浮かんでいた宇宙人の姿など、どこにも存在していなかった。


 どれだけ抱きあっていただろう、ようやくお互いに身を離すと、なんだかとてつもなく恥ずかしい気持ちになってきた。それはいっしーも同じらしく、耳の上がほのかに赤くなっていた。
 なんとなく気まずい空気がお互いの間に流れる中、意を決して口を開きかけたそのとき、静かなその空間に突然砂利を踏みしめた音が聞こえた。
 反射的にそちらを見ると、高村さんとその横に二十代くらいの若い女性がわたしたちから少し離れた場所に立ち、こちらをまっすぐ見つめていた。
 いっしーが一歩前に出てわたしを背中に庇う。
 高村さんはそれを見て、やんわりと困ったような苦笑いを浮かべるが、すぐに顔から笑みを消して静かな口調で言った。
「千夏ちゃん。今、どんな気持ちだい?」
「え……?」
 そう訊ねられてわたしは答えに困る。
 わたしの今の気持ちを聞いて、それがなんなのだろう。今の幻覚が消えてほっとしている気持ちを言えばいいのか、それともこんな目に合わせた文句を言えばいいのかわたしが考えあぐねていると、高村さんはふっと苦笑いして口を開く。
「すまない、僕としたことが焦りすぎたようだね。先に君にも説明をするべきだね」
 何のことを言っているのか分からず、高村さんの顔を見ると高村さんは少し物悲しげな笑みを浮かべて静かに口を開く。
「君にも教えてあげよう。この実験の目的、五年前の出来事を………」
 そう言って、高村さんはわたしに五年前に何があったのかを悲しみをこらえた顔をして語る。事情を知っているのか、わたし以外の二人は高村さんが語る間ずっと物憂げな表情をして顔をわずかに背けていた。
「……これが、五年前に僕と玲奈の身に起こったことだ。……さて、もう一度訊くよ。今、どんな気持ちだい?」
 高村さんはまっすぐわたしの目を見つめながら、真剣な表情で再度訊ねる。
 高村さんは言葉通りに訊ねているんじゃない。五年前の玲奈さんの気持ちを、わたしに訊いているんだ。
 わたしは一歩前に、いっしーの横に並ぶと高村さんの目を見つめて言う。
「玲奈さんは……とても辛かったんだと思う」
「そんなことは知っている。玲奈はいつも幻覚に苦しめられて――」
「違うよ」
 そんな答えが聞きたかったんじゃないと失望交じりの表情を浮かべてわたしに詰め寄ろうとする高村さんを制するようにわたしは静かに、けれど力強く言う。
「もちろん幻覚も辛かったと思う。だけどそれ以上に、自分が高村さんの重荷になって、苦しめる存在になっていることが幻覚なんかよりもはるかに嫌で辛いものだったんだよ」
「僕の……重荷に?」
 目を見開いて高村さんはつぶやく。
「そんな……僕が玲奈を重荷に感じたことなんてただの一度も、一瞬たりとも感じたことなんて無い! 僕はただ、ただ玲奈を助けたかったっ! 僕は玲奈に笑顔を取り戻してあげたかった、それだけだ……!」
 高村さんは大声でわたしの言葉を否定するように叫ぶ。わたしは目にいっぱいの涙を浮かべながら首を振る。
「そうだよ。玲奈さんは高村さんと同じぐらいに高村さんのことを想っていて――だから、高村さんに自分という重荷を背負わせたくなくて、縛り付けたくなくて病室から飛び降りたの……。自分がいなくなれば高村さんを自由にさせてあげられると考えて。最後に高村さんに今まで私のために頑張ってくれてありがとうって、私のそばにいてくれてありがとうって――そう言ったんだよ」
 わたしがそう言い終わると共に、高村さんは力が抜けたように地面に膝をついた。
「そうだったのか………そうだったのか、玲奈……ううぅぅっ………!」
 彼が土を掻き毟り、嗚咽を漏らすのをわたしは、いやわたしたちはただただ悲しく思い、眺めることだけしか出来なかった。



「………見苦しいところを見せてしまったね」
 どれほどの時間が経っただろうか、僕は地面から起き上がると僕を見つめている彼らにそう言った。
「――ありがとう。本当にありがとう。なんだか長年の胸のつかえが取れたような気分だよ……」
 小さく口元に笑みを浮かべて心からのお礼を述べると、彼らもぎこちないながらも笑みを浮かべてそれに答えてくれた。
「そして村井君、君にも感謝するよ。例え仕事とはいえ僕のこのくだらない、自分勝手で一人よがりな実験に協力してくれて……本当にありがとう」
 僕は横に立つ村井君にそう感謝の言葉をかける。彼女は照れたような笑みを浮かべて首を振る。
「お礼なんていりませんよ。……本当に良かったです。まさにハッピーエンドですね」
 村井君はそう満足そうな笑みを浮かべながら少し姿勢を崩し、手持ち無沙汰な様子で右手をズボンのポケットに入れる。
「うん、そうだね。僕はせめてあの二人だけでも、ハッピーエンドにしてあげるつもりだ……!」
 ポケットから出される右手を止めるように僕は村井君の右腕を両手でがっしりと掴む。
 村井君は掴まれた右腕にゆっくりと視線を移し、再び僕の顔に戻して口を開いた。
「……なんだ、ばれてましたか」
 それまでの穏やかな口調とは打って変わり、村井君は冷ややかな表情を浮かべて淡々とした口調でそうつぶやく。
「僕も馬鹿じゃないさ。君の行動や計画にはだいぶ前からうすうす勘付いていたよ」
「――なら、なぜ今回の実験を行ったのです? やめていれば少なくともこんな結末にはなりませんでしたよ」
 右ポケットの中の物を取り出そうとする村井君の腕とさせまいとする僕の腕との膠着状態が続く。
 彼女の問いに僕はふっと口元に笑みを浮かべる。
「前にも言ったはずだよ、村井君。僕はどうしても答えを知りたい、求めずにはいられないのだと」
 村井君は呆れたような小さな笑みを浮かべる。
「……ずっと思ってましたけど、高村さんってどうしようもないくらい馬鹿ですね」
「それを言うなら君もだろう。やろうと思えばいつでも出来たことなのに、僕の実験がこうして成功するのを待ってくれた、お人よしの村井君」
「だったら感謝してこの手を離して欲しいものです」
 彼女の右腕に力がこもるのを僕は抑えながら首を振って答える。
「あいにくと僕はバッドエンドが嫌いでね。――いっしー君、千夏ちゃん! 今すぐここから逃げろっ!」
 僕は背後の二人に顔を向けて大きく叫ぶ。
 千夏ちゃんはきょとんとした表情を浮かべるが、横に立っていたいっしー君は僕の懸命な表情から何かを察したのか、千夏ちゃんの手を掴んで走り出そうとする。
 それとほぼ同時に僕の胸に何か硬いものがこつんと触れ、一瞬の痛みとともに僕の身体はがくりとひざから地面に崩れ落ちた。

 

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