見えない宇宙人
−5話−
黒蒼昴
駅前のロータリーは時間がもう夕方のためかかなり人ごみで賑わっていた。 わたしは駅の出入り口から少し距離を空けたところで構え、出入り口から出てくる人達の容姿をじっと観察する。 スーツ姿のおじさんやOL、知らない学校の制服を着た学生や、杖をついたおじいさんなどの姿を観察しながら、わたしはあるモノを探していた。 「…………はぁ、いないなぁ」 わたしはちらりと、ロータリーの中央に立つ大きな樹を模した時計を見てため息をつく。 探し始めてから、かれこれ三十分くらいは経っただろうか。わたしは未だ目的のモノを見つけることが出来ずにいた。 初めの頃に比べて、駅の出入り口から出てくる人の数もかなり少なくなってきた。ひしめくように混みあっていた人の列も、今ではかなりまばらになっている。 (もう帰ろうかな………) ずっと立ちっぱなしで駅の方を見つめていたため、かなり疲れた。正直これ以上立ち続けるのはもう限界だ。 「あっ」 探すのをあきらめて家に帰ろうと思い、そこから立ち去ろうとしたちょうどそのときだった。 (やっと見つけた!) たった今駅の出入り口から出てきた人物。背中から鳥の羽が生えた、人とは違うヒト。 ソレの姿を発見したとき、わたしの心の中を見つけたことへの喜びとこれから行うことへの緊張が同時に駆け巡った。 『宇宙人の身体を触る』 それがわたしの思いついたこの事態の解決策だ。 昨日と今朝、そして今見えている宇宙人の姿は、たぶんわたしが見ている幻。それ以外に説明が付かない。宇宙人なんていうものがここに本当にいるとはあまり思えないし、もし仮にいたとしてもわたしだけにしかその姿が見えないなんていうのはおかしい。 たぶん、原因は一昨日のあのボールがわたしの頭に当たったこと。たぶんそのときに頭の中がどうにかなって幻が見えるようになってしまったんだろう。 それが、昨夜わたしが考え抜いた末に出した結論だった。 問題はこの幻をどうやって消すか、だ。 別に実態のない幻なのだから、無視して振舞えばたぶん問題はないんだろう。 けど、この先ずっとわたしの目の前に見える幻を無視していくなんて、そんな器用な真似はわたしにはとてもじゃないが出来そうになかった。かといって病院に行くのは、まず両親にこのことを打ち明ける必要があるし、わたしの気持ち的にもどうにも気が引けた。 で、最終的に思いついた解決策というのが、宇宙人、正しくは宇宙人の姿をした幻にわたしのこの手で直に触れること。 わたしは前に何かの小説で、幻は脳が混乱して現実と頭の中で造られた空想の産物との区別がつかなくなり、それらが混ざり合って出来るものだと読んだことがあった。 なら、実際に幻に触ってみて、その幻に触れないことを脳がしっかりと認識したら、ひょっとしたらその脳の混乱というのも治るんじゃないか、わたしはそう思ったのだ。 「――よし!」 わたしはパシッと両手で頬を叩いて気を引き締めると、慎重な足取りでその宇宙人に背後から恐る恐る近づく。 ……あと十メートル。 ……あと八メートル。 ……あと五メートル。 ……あと三メートル。 (――あ) あとほんの少し手を伸ばせば宇宙人の背中に手が届くところまで来たとき、わたしはふとある重大な事に気がついた。 今わたしの目の前にいる幻は、わたしが触れることで消える。 感触がないから。 この手で触ることが出来ないから。 それで脳が間違いを認めて元通りに治るから。 だけどもし、もしも今、この目の前の幻を触って、私のこの手にその感触が伝わったら………? わたしはあわてて首を振り、頭の中からその危険な想像を振り払う。 ありえない、そんなこと。だって、今目の前にいるコレは、単なるわたしが見ている、わたしの脳が作ったただの幻なんだから。感触なんてあるはずない。でも、もしあったら………。 わたしは宇宙人の幻に向かって手を伸ばした姿勢のままその場で固まってしまい、動けなくなった。懸命に力を込めて体を動かそうとするが、どうしても最後のあと一歩が踏みだすことが出来なかった。 『もし』。その考えが頭の中で増殖し、わたしの全身をあっという間に支配して束縛する。じわりと嫌な汗が額に浮かび、頬を伝って流れる。どうしよう。私の意識が半ば白くなりかけた。 「――あっ」 わたしの後ろから来た通行人の体が、ふいにわたしの肩にぶつかった。そのとき、わたしの右肩は後ろから押されるようにして前に動いて――。 「あっ、そ、そんなっ………!」 わたしの手に触れたソレの感触がわたしの手から瞬時に脳に伝わる、と同時にわたしの頭の中が真っ白になった。 気がついたら、わたしはその場から脱兎のごとく走って逃げていた。走って、走って、ようやく駅のロータリーが見えなくなったところで、わたしはようやくぜいぜいと荒い息を吐きながらゆっくりと立ち止まった。 「はぁ、はぁ、はぁ………ふぅ………」 荒くなった息をわたしは必死で整える。 なんで? わたしの頭の中をその疑問詞がぐるぐると駆け巡る。 あれは確かにわたしが作り出した幻、のはず。なのに、じゃあなんで、感触があるの? 誰かに背中を押されたときに前にいた宇宙人の背中から生えた羽に当たったわたしのこの右手は、確かにその羽の感触を感じ取った。それは間違いない。何か別のものと勘違いしているとか、そんなことは絶対ない。昔、家でアヒルを飼っていたことがあるから分かる。確かにあれは本物の鳥の羽の感触だった。 「――っ!」 わたしは慌てて制服に手のひらを強くこすりつける。まだこの手に残るあの羽の感触を消そうとして………。 こんなことをしても、さっきの事が無かったことになるわけじゃないのに、わたしはどうしてもそれをせずにはいられなかった。 「――君、大丈夫?」 唐突に背後から声がかけられ、わたしは慌てて背後を振り返った。 三十歳くらいだろうか、私服姿の男性が心配そうな表情をしてわたしの顔色を窺うように覗き込んでいた。 「気分でも悪いのかい。立っているのがつらいようだったら肩貸すけど」 男性はそう言うと、おもむろにわたしの体を支えようと手を伸ばす。 「あ――いえ、大丈夫です」 わたしはとっさに体を横にずらして彼が差し出した手を避けると、少しぎこちない笑みを顔に浮かばせながら答えた。 「そうかい? いやぁ、なんだか顔色悪かったものでつい気になっちゃって。立ちくらみか何かかな? 疲れてるんだったら一旦どこかで休憩でもしたほうがいいよ。無茶は体に良くないしね」 彼は空を掴んだ手を引っ込めると先ほどの心配そうな表情とは打って変わって、急に親しげに明るい口調で話しかけてきた。 「………そうですか。その、わたしもう大丈夫ですから。それじゃあ」 (なんか怪しいし、あまりこの人と関わるのは良くないかも) そう思ったわたしは口早にそう言うとその場から足早に立ち去ろうとする。 「ああ、ちょっと待って。君にひとつだけ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」 彼は別段慌てる様子もなく、何気ない口調でわたしを呼び止める。 「――なんですか?」 呼び止められてわたしはすぐに立ち止まると、彼の方を振り返って彼の言葉を待つ。 彼はわたしが彼の呼び止めに応じて立ち止まったことが少しうれしいのか、笑みを浮かべて言う。 「おや、意外と素直だね、君。てっきりそのまま無視して行っちゃうかと思ったよ。いや実に結構――って、ああ、ちょっと待って!」 わたしがすたすたと歩き始めたので、彼は慌ててわたしを追いかけてきた。 「いやぁ、ごめんごめん。昔からのくせでね、つい心に思ったことが口に出ちゃうんだよ」 「なんなの? ひょっとしてストーカーとかそういうの?」 だったら危ない。警察に電話したほうがいいのかな。 わたしが携帯電話を取り出そうとするのを見て、彼は慌てた様子で言う。 「うわっ、ちょっ、ひどいな。僕は別にストーカーとかじゃないよ。君について少し気になることがあったからこうしてちょっと訊ねてるだけじゃないか」 少し不愉快そうな顔をしながら、彼は言う。 「……そういうのをストーカーっていうような気がするんだけど………。で、訊きたいことって? 変なこととかだったら即、警察に通報するけど?」 「……う〜ん、かわいい顔して結構きついこと言うね、君。まあ、いいけど――君さ、さっき駅前で何を、いやどういうモノを見てた?」 「――え?」 急に彼の様子が変わり、わたしは思わずたじろいだ。 彼の顔は会ったときからずっとにこやかな笑みを浮かべているのだが、今の彼はさきほどとはどこか様子が違う気がした。さっきまでは普通の笑みだったのだけど、今彼が浮かべている笑みはなんだかまるで仮面のような――。それに駅前で何を見たっていったいこの人は何を――。 彼は黙っているわたしをしばらくの間じっと見つめていたが、一向に何も言わないわたしにしびれを切らしたのか、困った顔をして口を開いた。 「………う〜ん、じゃあ分かりやすく言おうか? 君は、さっき駅前でどういう幻覚を見てたのか、僕に詳しく教えてくれないかな」 「………なんで、それを」 どうしてこの人はわたしが幻覚を見てることを知ってるのだろう。わたしがそう訊こうとすると、彼はそれを遮って言った。 「――まあ、ここで立ち話もなんだし、駅前の喫茶店にでも行かないかい? あそこのコーヒー、お勧めだよ。ケーキはとってもまずいけど」 「……はい?」 いきなり彼が元のふざけた調子に戻ったので、わたしは思わず面食らう。だが彼はそれを気にせず、「いいからいいから」と無理やりわたしの手を引っ張って駅前の喫茶店に連れて行った。
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