見えない宇宙人

−6話−

黒蒼昴



 わたしと男性は店の一番奥の席に座ると、お互いにそれぞれ飲み物を注文する。
 しばらくして店員が注文した飲み物を運んできて、私は紅茶を、彼はコーヒーを受け取った。
 彼は運ばれてきたコーヒーを一口すすり、口を開く。
「さてと、まずは自己紹介といこうかな。僕の名前は高村。歳は三十、ちなみに彼女は募集中だよ。君立候補してみないかい――ははは、そう睨まなくても。軽い冗談じゃないか」
 わたしははぁ〜、と思わず深いため息をつきそうになる。
 ………この人はいったい何者なんだろう。わたしは高村と名乗った目の前の男性を見る。
 幻覚のことを当てられて少し混乱していたとはいえ、この人におとなしくついていってしまったことを、わたしは少し後悔し始めていた。
 高村さんだけ名乗るのもおかしいと思ったので、わたしも自分の名前を名乗ると「千夏ちゃんね。ふむふむ、中々良い名前だね」とほめられた。ほめられたけどもなんだかからかわれているようで、あまりうれしくない。やっぱりこういうときって偽名を使ったほうがよかったのかな、とわたしは再び自分の行いに後悔する。
「さてと、お互い仲良くなったところで………本題に入ろう」
 高村さんはそれまでのふざけた調子とは打って変わって、真剣な口調で口を開いた。
「なんで君が幻覚を見ているか分かったのかだけど、実は僕はこう見えても医者でね。隣の市の施設で働いているんだ。専門は――そうだな、精神科医に少し似てるかな」
 彼は少し微笑むと続ける。
「それでね、今日はたまたまこの近くに用があったんでここの駅前を歩いていたら、なにかおかしな行動をしてる女の子を見つけたんだ。初めは誰かでも待ってるのかな、なんて思ってたんだけどそれにしてはどうも様子が違うようだったから。それで少し気になってね、君には悪いけどちょっと離れたところから君の行動を観――いや、見させてもらってたんだ」
 そこで彼は一旦話を止めると、目の前のコーヒーをすすった。ちなみにわたしはというと、何かを口に含む気には到底なれず、わたしの目の前にある紅茶はいまだ手つかずのままだった。
「――で、少しして、君は誰かを待っているのではなく、誰かを、いや何かを探しているということに気づいたんだ。――ああ、何かをというのは、君が人の顔じゃなくて全体の容姿しか見てなかったからそう思ったのさ――で、しばらく君の様子を見続けていると、君は急に顔をこわばらせて、何もない場所に慎重な足取りでゆっくり近づいていく。
 何かあるのかな、と僕は目を凝らしてそれを探したし、実を言うとこっそり君の近くまで行って確認もしたんだよ。でもそこにはやっぱり何も無い。けれども、君はまるでそこに何かがいるかのように、緊張したように震えながら手を伸ばしてそこにゆっくりと進んだ。
 で、すぐに君は何かに驚いた様子でいきなり走り出したもんだから、僕も慌てて走る君を追いかけた――とまあこれが、だいたいの僕視点の君がさっき体験した出来事、とここまでは理解できたかな?」
 彼はまるで教師が生徒に教えた事をちゃんと理解できたか確認するような仕草でわたしに返事を求めた。
「………ずっと見てたんですか?」
 この人は、わたしが脅え、悩んで、逃げたのを全部見ていたのか。恥ずかしさと苛立ちがこみ上げたわたしは思わず高村さんを非難がましい目つきで睨む。
「いやぁ、気になるとつい確認したくなってしまうんだよね」
 彼は全く悪びれる様子もなく、笑いながらそう答えた。
「あの、一つ聞いてもいいですか? 幻覚って触ることができるんですか?」
 もしここまできて、触れない、それは幻覚じゃないなんて言われたらどうしようか。とわたしは不安に胸を包まれながら思い切って訊ねた。けれどもそんなわたしの心配をよそに、彼はやけにあっさりとそれに答えた。
「触れるよ」
「――そうなの?」
 思わず、敬語ではなく素の言葉が出てしまう。彼は軽く頷いて言う。
「うん。よく間違われやすいけど幻覚っていうのはね、一つの症状だけじゃなくてたくさん種類があるんだよ。疲れから見るものや目の病気で見るもの、心のトラウマから見るもの、なんていう具合にね。そうだなぁ、君の場合は触感があるっていうことだから、脳の知覚の部分になんか問題でもあるのかな? 最近頭打ったりとかした?」
 わたしがおととい頭をアスファルトの地面に打ったことを説明すると「じゃあそれが原因だ」と彼は簡単に決め付けた。
「でも、それだけで本当に幻覚が見えたりするんですか?」
 わたしが訝しげな表情で訊くと、逆に高村さんはわたしに問い返す。
「そうだねぇ、千夏ちゃんは物を『見る』ときってどうやって見てる?」
「え? どうって………普通に目で見てるんじゃないんですか?」
 わたしが若干考えてからそう答えると、彼は服の胸ポケットから手帳を取り出し、あるページを開いて私に見えるように差し出した。
「これは何に見える?」
 高村さんが開いたそのページには簡単な動物のデッサン画が載っていた。
「ええと、アヒル?」
 わたしがそう答えると、「じゃあ、これは?」と彼は絵を少し斜めにずらして尋ねる。
「………あれ、ウサギ?」
 確かにさっきはアヒルに見えたのに、こうしてずらされた後のこの絵を見てみると、どう見てもさっきのアヒルではなくウサギの絵にしか見えない。
「正解。これは騙し絵といってね。一つの絵なのに見方によっては全く別の絵が見えるんだ。
 さて、これで分かったかな。人は『物』を見るとき、まず目でその『物』の情報を取り込むんだ。で、その情報は脳に送られ、脳はその情報がどういうものか解読し、理解してから頭の中で映像として映し出す。そうしてから人は初めて目の前にある『物』を見る。分かる?」
「………全然」
 ちょっと中学生には難しかったかな? と彼は苦笑すると、わたしに分かりやすいように説明しなおした。
「例えば僕がカメラで写真を撮ったとする。これが目。で、その撮ったフイルムを僕は写真屋さんで現像してもらう。その写真屋さんは現像した写真を君に渡す。で、例えばその写真屋さんが脳の知覚の部分だとする。
 普通だと、写真屋さんは僕が撮った写真を素直に現像して君に渡すけど、もしこの写真屋さんが僕の撮った写真にこっそりいたずらをして、全く別の写真を君に渡すとする。さてそのとき君はその写真を見てどう思う? ああ、もちろん君は、現像する前の写真は知らないよ」
(どうって、わたしはその写真を見てどう思うんだろう……)
「……たぶん、何も思わないと思います」
 わたしは写真を受け取る場面を想像しながらそう答えた。
 元の写真を知らないのなら、はっきりと分かるいたずらならともかく、それがほんの些細なものだったら、受け取る人がそのいたずらに気づくことは、まずない。
「そう、それが大雑把な君が見ている幻覚のしくみ。幻覚を触ったときにあったという触感も、脳が作り出した幻に過ぎない。事故で腕が無くなったのに腕の痛みを感じる幻肢なんていうものもあるくらいだからね、触感があることくらい不思議でもなんでもないさ」
 高村さんは事も無げにそう説明した。
 ………そういうものなのかもしれない。
 なんだか、この人の説明を聞いてると、不思議なことにさっきまで悩んでいたことがまるで夢だったかのようにどこかに消え失せてしまった。
 わたしは時間が経って、もうすっかりぬるくなってしまった紅茶に始めて手をつける。
「………原因とか仕組みとかは分かりました。それで、この幻覚の治療法とかは……あるんですか?」
 わたしは最後にして最大の心配事を思い切って彼にぶつけてみた。これだけ幻覚について詳しいのなら、きっと治療方法も知っているに違いない。
「………………」
 すぐに口を開いて答えてくれると思ったのに、高村さんは答えず何やらずっと黙っているので、わたしの先ほどまで膨らんでいた期待が急速にしぼみ、すぐに不安がそれに取って代わる。
「…………ない、の?」
 わたしが恐る恐る尋ねると、高村さんは急にはっとした表情でわたしを見ると、慌てて答えた。
「あ――、いや、治療法ならあるよ。ごめんごめん、今ちょっと考え事を――その、どの治療法が一番いいのか考えてたもんだから」
「………そう、なんですか?」
 わたしは若干彼の態度を訝しげに思いながら、訊ねる。
 彼はすぐに平静さを取り戻した様子で続けた。
「うん。幻覚は脳の混乱が原因。要はその混乱を解いてあげればいいのさ。ただ、君の場合、見た感じ結構強力なものみたいだし、ある程度時間もかかると思うよ。それでもかまわないかい?」
 治るまで少し時間がかかるというのが残念だったけど、それでも一時はもう治らないのかと思っていたぐらいなので、わたしはそのくらいのこと何でもないですと喜んで承諾した。


 その後、今日はもう遅いので治療を始めるのは別の日ということになった。わたしたちは次に会う日取りと場所を決めると連絡先を交換してから店を出た。
 治療費とかは、中学生からお金を取るわけにはいかないよと彼にやんわり断られたが、それでは彼に悪いと押し切り、最終的に治療の日は先ほどのあの喫茶店でコーヒー代をおごるということで合意した。
「今日はその、いろいろありがとうございました」
 わたしが改まって礼を言うと、彼は少し照れたような顔をして言った。
「礼なんていいよ。たまたま君は困ったことを抱えていて、僕はその困ったことを解決できる。だから解決する。ただそれだけのことさ。………う〜ん、今僕とてもかっこいい事を言ったなぁ。後でメモしとこっと」
「あはは、今のセリフで台無しですよ。それじゃあ、また今度」
 わたしは高村さんに一礼してから別れる。彼は送ろうかと言ってくれたが、さすがにそこまで甘えるわけにはいかないのでわたしは彼の申し出を断った。
 家に帰りつくまでの間に、また何度か宇宙人の姿を見かけたけれども、そのときは不思議と何とも思わず、むしろ宇宙人のそのユーモラスな姿に思わず笑いがこぼれるような余裕さえあって、わたしは改めて高村さんに感謝した。

 

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