よい週末を

−1話−

黒蒼昴



 山際にぽつりと佇むようにしてある小さな駅。その駅の片側だけしかないホームに、一両の列車がゆっくりと速度を落としながら入ってくる。
 列車は鈍い金属音を響かせながら減速し、自分と同じ長さしかない短いホームにぴったりと体を合わせて停止した。
 ガタガタと立て付けが悪いのか、うるさい音を立てながら列車の扉が開くと、そこから俺はホームに降り立った。俺がホームに降りると列車は扉を閉め、再び鈍い金属音を響かせながら緩慢な速度で駅から離れて行く。
「………俺だけ、か」
 俺は徐々に離れていく列車を目で見送った後、自分が降り立ったこの小さなホームを一目で見渡しながらつぶやいた。
 駅には自分以外の利用客は一人もおらず、また列車から降りたのも自分だけだった。ついでに言うなら先ほどの列車に乗っていた客もまた自分だけだ。
 俺はその場で人目を気にすることも無く、思いっきり体を伸ばしたり動かしたりして体をほぐすと、大きく口を開けて盛大な欠伸をする。
「はぁ………。さすがに三時間も列車に乗り続けるのはきついなぁ」
 俺がわざわざ祝日という貴重な休みの日にも関わらず、三時間もかけてこの都心から遠く離れた「観光名所は山と自然です」と言わんばかりのど田舎まではるばる来たのは、別に都会の空気が嫌になったからとか、自分探しの旅に出たとか、ましてや観光なんかをしに来たわけでも当然無い。


 無人の改札口を抜けると、山間部特有のひんやりとした涼しい風が体を包み込むようにして撫でる。
 俺は、その心地よい風に体に幾分か気持ちが癒されながら、ズボンのポケットの奥からよれよれになった紙切れを取り出した。
 それは、つい先日に俺のもとに届いた旧い幼馴染からの手紙で、俺がここに来るはめになった理由の一つでもあった。
 手紙は全部で二枚あり、一枚目には自分の近況報告と、俺にぜひ今度の祝日――つまり今日、自分の家に来て欲しいという内容の文章が書かれている。そして二枚目の方には、彼女の家の場所とその周辺の簡単な地図が描かれている――んだろうな、たぶん。
 俺は彼女が描いた地図から目を離し、大きくため息をつく。
「――こんな、どっかの幼稚園児の落書きみたいなもんで理解できるやつがいたらお目にかかりたいもんだな、まったく………」
 恐らく彼女の力作なのであろうこの絵は、もはやあまりにも高尚な芸術すぎて、凡人である俺にはまったく理解することなんてできないし、する気もない。
 だが、困ったことにこの超難解パズルを解かないことには、目的地である彼女の家にたどり着くことが出来ない。
「………そういや、あいつの絵は昔からこんな感じだったなぁ」
 昔から彼女の絵は、良く言えば芸術品。普通に言うならばかなりの下手くそだった。
 高校生のとき、美術の時間で自然の風景を観察して描こうというのがあったのだが、一体どう描けば目の前の穏やかな森が、一転して怪しい踊りをしているカルト教団みたいなおどろおどろしい絵になるのか、甚だ疑問に思ったことがある。というか、なんで森を描くのにピンクや紫なんて使うんだよ。
 そしてたちの悪いことに彼女の場合、その常人とはかけ離れた感性が絵だけにとどまらなかった。
 どういうわけか、彼女は昔から一般人には理解できないもの、いわゆる超常現象やオカルトなどの類が大好きで、昔はよく無理やり街中を引きずられて変なモノを探す手伝いをさせられたりした。
 それ以外にも、心霊写真を撮ると言われて夜中の学校に忍び込んで教師と鬼ごっこをするはめになったり、UFOを呼ぶためだと野原で変な踊りをさせられて町中の噂になったり……………はぁ。これ以上思い出すと、なにかトラウマみたいなものが目覚めそうだ。
 けれども、あいつは毎日変なモノを追い掛け回しては周りの人間を(特に自分を)困らせている問題児にもかかわらず、なぜか成績だけは良く、校内でもよく学年十位には入るほどだった。そしてそれと同じくらい絵の才能もずば抜けていて、その下手くそさは校内で一、二を争うほどのものだった。
 どうやらその才能は大人になった今でもなお、ご健在のようだ。
「弱ったなぁ………」
 俺はほとほと困りながら、そのピカソも驚くような芸術的絵画をもう一度じっくりと眺める。
 駅と書かれた(かろうじて読めた)溶けかけのチョコのような長方形から、やる気を失くしたミミズが這うような、見ていて力が抜ける線が一本生えている。
 少しまっすぐに進んだかと思うと、次には右に曲がって左に曲がってと意味不明な行動を繰り返し、次に痙攣でも起こしたのかぶるぶると震えながら、千鳥足でふらふらした後、もはや解読不明な大迷宮を抜け、やっと目的地に到着。
「――どこの宝の地図だよ」
 俺は頭の上の青空を見上げて、途方にくれる。
(あぁ、もうどうでもいいや。帰りてぇ………)
 しばし、空の上を雲が形を変えながら流れていくのを眺めながら、俺は心底そう思った。
 数分間の現実逃避から帰還した俺は、この難解不読の地図を読み取ることはさっぱりあきらめることにし、誰か地元の人にあいつの家までの道を尋ねることにした。
 俺は駅の周辺を適当に歩き回り、人の姿を探す。しかし田舎のせいか、それとも俺の普段の行いが悪いせいか、全く人の姿を見つけることができなかった。
(ま、一応駅前なんだししばらく待てばそのうち誰か来るだろ)
 特に考えることも無くそう簡単に決め付けると、俺は駅前に一つだけぽつんと置かれた古い木製のベンチに腰を掛け、誰かが通りかかるのを待つことにした。


 ……どうやら俺は田舎というものを甘く見ていたらしい。
 ベンチに腰掛けてからもう、かれこれ三十分くらいは経ったが、なぜかいっこうに人が現れる気配がなかった。
「………なんでだよ」
 狸や猫なんかなら何匹か目の前を通り過ぎるのを見かけたんだがなぁ。ていうか、いくら田舎とはいえ駅前だというのに人よりも動物のほうが多いというのはどういうことだよ、おい。
 俺はそれからもうしばらくの間、駅前で人が通りかかるのを待ったが、人どころかとうとう動物の姿さえ見かけなくなったため、誰かに道を尋ねるのはあきらめざるを得なかった。
 かといって他にいい手段も思い浮かばず、仕方なく先ほどの難解地図をもう一度じっくりと見て解読しようと努力してみる。
「………ったく! 分かるかこんなもん」
 当然、いくら考えたり見方を変えてみたところで、こんなどこかの象形文字みたいな地図が理解できるはずもなく、俺はすぐに地図をぐしゃりと手で握りつぶすと近くにあったゴミ箱に投げ入れた。
「はぁ、どうしたもんかなぁ……」
 俺は深くベンチにもたれながら再びため息をついて空を見上げる。
 ああ、このまま何も無かったことにして家に帰ってごろ寝したいな。でもばれたら後でいろいろ厄介だし――ん?
 そのとき、不意に背後に誰かの気配を感じて、俺は後ろを振り向いた。
 ブニッ。
「…………………あ?」
「あ――」
 振り向いた先、俺の背後には見た目中学生くらいの年の少女が驚いた顔をして立っていた。
 おそらく彼女は自分に声をかけようとしていたのだろう。彼女の手は俺の肩より少し上の位置で固まっていた。いや正しくは、めり込んでいた。
「……………」
 俺の視線は少女の固まった表情から、彼女が自分の方に伸ばした腕へと辿っていく。そして自分の頬にめり込んでいる彼女の指に行き着いた所でもう一度彼女の顔を見た。
「――っ! ご、ごめんなさいっ。え、えと、そのっ、あの――」
 目があった瞬間、少女は我に返ったのか慌てて手を引っ込めると、早口すぎてもはや言葉になっていない謝罪の言葉を矢継ぎ早にまくしたててきた。
「………あ〜、別にそんなに謝らなくとも。俺は対して気にしてないからさ」
 とりあえず俺は目の前で半ばパニックに陥りかけている彼女をなだめて落ち着かせる。

 

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