樹晃一もまたこの学園では、ことりの保護者のような立場として有名な存在だった。
それは共通認識として、羽山ことりは樹晃一の言うことなら比較的素直に聞くということがあるからだ。
ことりのように目立つ存在ではないが、落ち着いた物腰と誰とでも分け隔てなく接する態度、人当たりもいいことから教員たちからの信頼もあり、いろんな人に頼りにされていた。
そんな樹晃一と羽山ことりの出会いはさかのぼると一年前の入学式の日だった。
その日、入学式への緊張感からか、晃一は学校に早く来すぎてしまった。
門をくぐって辺りを見回していると、大きな桜の樹の下で女の子が眠っているのを見つけた。
その少女の周りでは犬や猫といった動物たちも一緒に横になっており、桜の樹の下だけが別の世界のような雰囲気になっていた。
晃一はそんな不思議な少女に興味を持ってしまった。
晃一が近づいてくとまず犬が気づいて、唸り声を上げて向かってくる人間を威嚇した。
その唸り声に気づいたのか、少女が目を開けてこちらを見た。
「こんにちは。こんなところでお昼寝?」
「………」
晃一の挨拶に対して少女は意にもかいさず、唸っている犬をゆっくりと撫ではじめた。
少女は晃一の方を見ることなく、動物たちとたわむれていた。
「僕、樹晃一っていうんだ、新入生なんだけど君も?」
晃一の自己紹介に対して、少女はウンザリしたように一度ため息をついてから、
「……羽山ことり、新入生……。それだけ?」
羽山ことりと名乗った少女は猫をなでながら、晃一の方に目を向けることもなく、動物のほうに目を向けている。
「動物好きなんだ、いいよね、子犬とか。僕の家でも一匹飼ってるんだけ――」
言い終わる前に、少女はこちらに目を向けた。それも凄いスピードで晃一のほうに顔を向けた。
「――どさ、小型のミックスなんだけど、羽山さんも犬派?」
少女の意外と俊敏な動きに驚きながらも、晃一は一つ質問をした。
すると少女はふるふると首を横に振りながら、
「……あたしは猫派、まるで――」
晃一は最後までは聞き取ることはできなかったが、猫の方が好きだというのがわかっただけでも収穫としては十分だった。
「猫だったら、加山神社っていうところだといっぱいいるよ」
三島高校からも徒歩で行ける距離にある加山神社は古い建物で、今は廃れて野生動物、特に犬や猫のお家になっていた。
当然、動物好きの人たちにとっては穴場であり、えさやりを日課にしている人も少なからずいる場所だった。
「知ってる。お休みの日とか……、よく行くの……」
少女は動物が大好きらしく、言葉は少ないがその目はキラキラと輝いていた。
「妙に人間慣れしてるよね、あそこにいる動物たちって」
「うん……、ミケはすぐ、人によっていくの」
「ハハッ、エサをもらえると思ってるんだろうね」
「もう、時間かも……。人が、集まりだした」
少女は晃一にそう言って、体育館のほうを指差した。
「あ、もうそんな時間か。じゃあ行こうか、羽山さん」
少女は立ち上がった晃一の服の裾を引っ張って、
「あたし、ことり……。名前で呼んで」
そう言った羽山さんの顔は少し、先程までとは違っていた。
「え、あー、うん、分かった、じゃあ行こうか、ことりさん」
今度は首を横に振って、
「さんもいらない……。あたしは、偉い人じゃ、ない……」
「でもさん付けぐらいは……」
会って一日目の女性をいきなり呼び捨てにすることには、晃一は抵抗があった。
「いらない」
しかしそんな晃一の気持ちは通るはずもなく、
「分かったよ、ことり、じゃあ僕のことは――」
せめて自分のことも下の名前で呼んでもらおうと思った晃一だったが、
「樹くん……、よろしく」
晃一が言う前に呼び方も決まってしまった。そこまで言ったことりは先に歩いていってしまった。
しかしその日、入学式に羽山ことりの姿はなく、桜の樹の下で眠っているところを教員の一人が発見した。その話は一気に学校中に広まって、ことりは入学式の日のうちに、もっとも有名な新入生になった。
そして教室に帰ってきたことりと、言葉を交わしていた晃一はことりの知り合いとして、また世話係として徐々に教員の方々に認知されるようになった。
そんな二人の出会いから一年が経ち、もはや晃一の世話係としての仕事は定着し、晃一はことりの側にいることが多くなった。
「ことり、教室は二階だよ。そっちは保健室では?」
ことりは晃一の言葉に対して、わざとらしくキョトンとした顔で首をかしげた。
「もしかして残り十分しかない授業を保健室で過ごすつもりだったとか?」
ことりは小さくフルフルと首を横に振った。
「じゃあどこに行こうとしてたの?」
「…………………校庭?」
長い沈黙の後出てきた言葉はやはりサボる気満々だと証明するような一言だった。
「僕も怒られちゃうから、ちゃんと授業に行こうね」
晃一の言葉は明らかに年下に対して使うようなものだが、それをことりが気にしている様子はなかった。
そんなことりはふてくされながらも階段を登る晃一についてきているあたり、晃一の保護者っぷりもまんざらではないようだった。
「先生、お待たせしました」
「……お待たせ……、しました」
教室の扉を開けて、晃一は先生に頭を軽く下げた。
ことりの方もちゃんと頭を下げている。ことりはこういう部分はしっかりしている、授業はしょっちゅうサボるのだが……
「あー、すまんな樹。羽山もきちんと授業に出ろよ」
そこまで言って、先生は席のほうに指を指した。
「ま、一応座っとけ、あと五分しかないけどな」
そんな先生の言葉に対して、教室中から笑いが起こった。
その日の残りの授業は、結局先生の雑談で終わってしまった。
「……スゥ、………スゥ、…………スゥ」
にもかかわらずことりは座った瞬間、寝息を上げ始めた。
この学校の七不思議のひとつでもある。羽山ことりの成長度合いが睡眠時間にまったく比例していないという話を、なんとなくだが実感できた晃一だった。
続く・・・