夕焼けの唄 −2話−

雪桜


 ―2―

 声が、聞こえる。
 飽きもせず何度も何度も自分を呼ぶ声に、男は眉を顰めた。
 あぁ、そんな大声を出していたら人間を糧とする妖に気づかれてしまう。
 はらはらする心を抑えて男は暫く待っていたがその声は途絶えることなく、むしろ先ほどより大きく森に響いている。かさかさと乾いた落ち葉を踏む音と、幼い子ども特有の高い声。
「あやにぃー!」
 男はため息をつくと、体を預けていた木の枝からふわりと身を躍らせた。
「……また来たんか」
 男の呆れたような声に振り返り、その姿を認めたしずは満面の笑みを浮かべて男に駆け寄る。
「あやにぃ、あそぼー!」
 しずの無邪気な笑顔と言葉に、男は諦めた風な溜息をついた。
 あの日、男が気まぐれからしずを助けたあの日から、彼女は毎日男の元を訪れていた。話によるとしずは最近母親とともにこの地へ越してきたばかりらしく、友達が一人もいないということだった。この辺りは随分と人が減り、子どもの姿も珍しいものとなっていたので当たり前のことなのだろう。そう男は考えたが、何故彼女が毎日自分の元へ来るのかは理解できなかった。
 だが、その声に呼ばれるのは嫌いではない。
「わっ!」
 駆け寄ってきたしずが足元を取られて転びかけた。男は咄嗟にその両腕で小さな子どもの体を支える。そんな自身の行動に男は罰の悪そうな顔をして、そっとしずを地に下ろした。
「ありがとう」
 しずが笑う。
 そしてその小さな手を男に差し出し、戸惑う男の手をきゅっと握った。
 その掌が優しくて、温かくて、男は柄でもないと思いながらもそっと握り返す。しずが嬉しそうに笑って、男も静かに口の端を上げた。
 他の妖への牽制だ。この子どもは自分の獲物なのだということを知らしめるための行動。
 そうやって自分の行いに理由をつけながら、男はしずの歩幅に合わせてゆっくりと足を進めた。

 空が茜色に染まる。
 男はしずを送るために森の出口へと歩んでいた。
 しずと男、二人分の影が道に長く伸びる。その手は未だ繋がれていて、しずがまるでリズムを刻むかのように前後に腕を振っていた。
「ゆーやけこやけで日がくれてー」
 手の動きに合わせて、しずの楽しげな唄が響く。帰り際、しずがいつも歌う唄だ。男もこの唄は知っていた。人の世に長らく歌い継がれてきた唄。それは微かに切なくて、暖かな優しい旋律を伴って響く。
「おーててつないで、みなかえろー。からすと一緒に帰りましょー」
 しずが歌い終わるのとほぼ同時に、立ち並ぶ木々が終わりを告げる。男はしずの手を離して、ついと村を顎で示した。
「ほら、暗うなる前にはよ帰れ」
 男の言葉にしずはこくりと頷くと、そのまま村へと駆けていこうとする。しかしすぐに振り返って、男に屈託のない笑顔を向けた。
「あやにぃ、また明日ねー!」
 男は暫し驚いたように動きを止めたが、くるりとしずに背中を向ける。そしてその片腕をひょいとあげた。
 しずは嬉しそうに表情を崩すと、そのまま村へと足を速める。
 男は掲げた腕を下ろして、寝床へと戻る為に足を動かした。
 あの子どもが笑うと、何故だか温かな気持ちになる。
 こんな想い、とうの昔に失くしてしまったはずなのに。
 それでも、それは決して不快なものではなかった。
 男の瞳には、優しい光が宿っていた。

 ・・・続く


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