夕焼けの唄 −3話−

雪桜


 ―3―

「みてみて、あやにぃ」
 しずが両腕に沢山の落ち葉を抱えて、男に笑顔を向ける。危なっかしい足取りで近づいてくるしずに、男は彼女が転ばないようにと自分から傍へ歩を寄せた。
 しずは勢いをつけて、両手の中の葉を宙に放り投げた。赤や黄色に色づいたそれらが、はらはらとしずの周りを舞う。その様子にきゃっきゃと声を上げて笑うしずに、男は僅かな笑みを口元に乗せた。
「きれいでしょ?」
嬉しそうに笑うしずに男は目を細めた。そして何事か考え付いたのか、口の端を上げて腰を下ろす。しずと同じ目線になるように。
「童、もっと綺麗なもん見したろか?」
「もっときれいなもの?」
 男が頷くと、しずは元気よく頷いた。男がそっと手を伸ばすと、何の躊躇いもなくしずは男の腕に体を預ける。全く警戒を抱かないしずに、男はほんの少し嬉しさを感じた。
「しっかり捕まっときや」
 一言忠告を添えて、男は軽く地を蹴った。妖の身軽な体はそれだけで、遥か上方の枝へと飛び移ることができる。そのまま枝を踏み切り、森で一番高い木の天辺に足を下ろした。
「あやにぃ、すごいすごい!」
 はしゃぐしずを腕にしたまま、男はバランスをとる。そしてそのまま目線でしずに下を見るよう促す。
「ほれ、下見てみぃ」
「……わぁ!」
 そこには色とりどりの木々が織りなす、美しい絨毯が広がっていた。赤や黄色に紅葉した葉が無数の模様を作っている。しずは感嘆の声をあげ、目を大きくした。
「あやにぃありがとう!すっごくきれい!」
 しずの嬉しそうな声に男は笑みを返す。そして再び、眼下に広がる景色を見つめた。

それからも毎日、しずは男の元にやって来た。男はそれが、だんだん楽しみになっていることに気がついた。
 しずの屈託のない笑顔や、自分の名を呼ぶ声や、その手のひらの温もりが嬉しい。
「あやにぃー!」
 急かすように男を呼び、季節はずれの蝶に目を輝かせる。
 高い木の上に男がしずを抱えて跳ぶと、歓声をあげて喜ぶ。
 そしていつも帰りには、その手を繋いでしずは唄を歌う。夕焼けの唄を。
 男はしずと別れてから、定位置となっている木の枝に体を預けて瞳を閉じた。
 明日もきっと、あの子どもは来るのだろう。
 あの声が自分の名を呼ぶのが好きだ。しかしこれは本当の名前ではない。
 そう言えば自分もまだ、子どもの名前を呼んだことが一度もないということに男は気がついた。いつもいつも、『童』と呼んでいるのだ。
「明日、童が来たら……」
 男は小さく呟いた。そして知らず知らず緩む頬を手のひらで覆う。
 明日あの子が来たら、俺の本当の名前を教えてやろう。そして、あの子どもの名前を呼んでやるのだ。
 一体、どんな顔をするだろうか。
 男は楽しげに口の端を上げ、傾く月を見上げた。

 そして次の日、しずは男の元に現れなかった。

・・・続く


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